SPNの眼
1.ギャップにひそむ危機と商機
アベノミクスという経済政策の通称が円安・株高現象とともに用いられるようになって早や1年、経済成長率の上昇、金融の活発化等に加え、2020年東京五輪招致の成功が景気見通しの更なる好材料となっている。一方では為替変動に伴う輸入事業者の負担増、消費増税の影響、周辺国との摩擦問題など不透明な要素も抱えながら、少なくとも経済状況は長引く停滞から新たな局面に転じていることには違いない。筆者は現在、大学院にてビジネスモデルの構想を研究対象としており、こうした活発な経済活動の中で多くの事業構想や事業革新が行なわれ、新たなビジネスモデルが誕生し、景気が本格的な回復に向かうことを期待を込めて注視している。
ところで、企業危機管理に携わる一員として過去に関与した経験を踏まえ、ビジネスモデルを学ぶ立場からは、自身の研究対象であるビジネスチャンス(商機)の発着想とともに、そこに内在する、あるいは商機とともに生じるリスク(危機)への対策をどのように盛り込むべきかの定型化も、一つの課題と捉えている。その中で思い至るのは、新たな事業の構想とは、市場の潜在的・顕在的な期待と不満(理想と現実)のギャップを埋めることであるという考え方に立脚がするならば、それは逆に、事業における大きな危険とは、そのギャップを埋める変革(大きくはイノベーション)に十分なリスク対策が施されていない状態のまま市場化されることであり、これまでの危機対応の経験とも通じるところである。
危機が商機の裏側に潜むということは観念的には自然に受け入れられるものであり、ギャップを分析することの有用性は内部統制においても示されている。しかし、それらを自社のリスク管理体制強化に応用するに際しては、他の要素が複雑に絡んだり、先入観念が働いたりと、なかなかリスクの洗い出しや対策検討を困難にする。まして、新規事業におけるリスク対策ともなれば、想像すること自体に困難性が伴う。そうした場合には、他社における具体的事例を身近なものとして認識(自社の場合であったらと仮定)し、リスク発現の要因に迫ることが有効な手法の一つである。
そこで今回は、今直近で話題の関西老舗ホテルチェーンを中心とした高級メニューや、食材の偽装問題(以下、メニュー偽装問題)を事例に取り上げてみたい。この問題の背景を一般に論じられるような「ホテル事業のコストダウン圧力による現場の暴走」といった一括りで解釈してしまっては、自社の事業に得られる教訓が限られてしまう。本稿では、これを「事業において取り組むことが必要な把握すべきギャップと、そこに潜むリスク」という観点から見直してみたい。
2.ギャップに着目した考察
景気回復がまだまだ肌で実感できない昨今、老舗高級ホテルで厳選された素材の料理を楽しむことは、多くの顧客にとって憧れである。仮に、一部報道が推察するように外資系高級ホテルとの競争から価格破壊を余儀なくされていたとしても、それはそれで顧客の目からは「ホテル・食材・料理人やスタッフの全てが一流であるレストランであれば、(きっと)料金以上の美食を味わえる」といった期待となる。そして、前記したギャップという観点で捉えるならば、コストをはじめとする様々な阻害要因をクリアし、ギャップを克服してその期待を実現することがホテル側の手腕となる。
そうした顧客の期待と現実的困難とのギャップを変革により解消し、顧客に喜びや感動という価値を提供する仕組みそのものが、あるべきビジネスモデルといえる。そして、そうした価値を提供し続けるホテルに顧客はブランドという付加価値を認め、ホテル側はまたその付加価値に対し、信頼という責任を負うことになる。
本件でのギャップに潜むリスクとして分かりやすかった場面は、そもそもこのブランドに対する顧客の信頼とホテル側の責任意識が乖離していたような印象を与えてしまった事後対応であろう。
関東圏で今夏に発生した同種問題を受け実施した社内調査で、事態を把握したあるホテルは、事実を開示しながらも、意図的な偽装ではなく誤表示・拡大解釈であったと強調したが、その結果はどうであったろうか。顧客や一般の消費者からすれば、意図的であったならば、詐欺的行為であり勿論許されるものではないが、誤表示や勘違いだとしても、プロ失格の無責任な弁明と映る。そして、信じていたブランドに裏切られたとの反発を招き、かえってホテル側の認識が疑われ、ブランド価値の失墜を加速させることになってしまったのである。
もっとも、ホテル側のこうした対応の背景には、食をめぐる社会認識と制度とのもう一つのギャップがやむを得ない事情として意識されていたのではないかと推察される。
即ち、これが小売商品であれば、食材とその産地等の表示は、いわゆるJAS法に基づき容器・包装への基準が定められているが、メニュー表示においては明確な基準は存在しない。このことは、安価を売り物とする回転寿司チェーンなどを考慮すれば頷ける話である。ただ、この場合は安価ゆえであろうか、今のところ特に問題となった例を聞かない。
高価なレストランであるからこそ社会問題にまで至っているのであろうが、法律においては「著しく優良と誤認させる程度ならば景品表示法違反が疑われる」という程度の曖昧な規制しか存在しないのが現状である。事案の構図としては、生食用牛肉に対する法規制の不備が問題視された2011年の集団食中毒事件に類似している。今回の社会問題化を受け、メニュー表示に対する法規制の必要性を説く声も出てきており、食の信用を期待する社会要請と法規制のギャップが埋められる可能性もあるが、食の安全そのものとは直結しにくい問題だけに(食の安心は別)、法による事前規制までが必要かとの反論が出ることも予想され、実現は不透明である。
なお、過去には水産庁による海産物の表示明確化の呼び掛けがなされたこともあるが、後記の通り、不徹底なまま現在に至っている。メニュー偽装は、外食業界共通の問題とも指摘されており、遅まきながら本件を機に社内調査に入ったという複数の大手ホテルチェーンの中からも同様の事態が続出するという懸念が囁かれているという。悪意ある偽装ではなく、誤表示であったとする主張には、業界の”常識”と、社会の”常識”とのギャップが不幸にも存在する。
しかしながら、消費者の期待が法規制で容易に実現できない中においてこそ、尚更にその期待を担う事業者側には積極的・徹底的な変革、リスクの克服が求められる。報道を通じて知り得る情報からは、ホテル側の取組みも”主体的な”と呼ぶにはほど遠く、理想との間に大きな乖離を生じさせていたようである。
3.解消すべきギャップは何であったか
ホテルが主体的に解消すべきでありながら放置していたギャップは、報道の中からも多々読み取れるが、例えばホテルと食材業者との関係におけるギャップが挙げられる。
美食が追求される昨今においては、競合との差別化を図るべく、ホテル側には有名な産地の食材や凝った料理をメニューに盛り込もうとする動機が働く。一方、業者としては、高級食材や希少食材は安定供給が困難なため、ホテル側の要望に容易に応じることができないのが現実であるという。
ここに、業者側の供給能力との大きなギャップが生じており、業者は(ホテルの承諾の有無は別問題として)代替品で間に合わすより仕方がないという、結果的に不正を生みだす構図が作られてしまうのである。
そこには、希少食材を確実に調達できる新ルートの開拓や養殖・栽培技術等の開発といった変革が前提にあるべきところ、ギャップの埋め合わせが業者へ丸投げされた格好となる。これでは一般論的にも供給業者主体の偽装にホテル側が直接・間接に関与した不正という形でしか埋め合わせができなくなっている状況が想像される。ホテルとしては、業者を信頼していたという抗弁があるのかもしれないが、過去はいざ知らず現代においては、ホテルは常により安く便利な業者を探している。
無理な要望であっても断れば他の業者に乗り換えられてしまうという恐怖心が業者側には働き、供給の可否は別として、ホテル側の依頼に応じざるを得なくなってしまうとの声もある。
善悪の問題ではなく、このように死活問題につながる利害を抱えた関係者にリスク対策を依存することは、リスク管理体制の欠陥に他ならない。これは、最近も話題になり後を絶たないテレビ制作会社による番組捏造問題とも類似の構造といえよう。
そもそも美味で希少な外食体験という顧客の期待を実現するためのビジネスモデルの変革が業者に丸投げされていることが本末転倒であり、ホテル自体の取組みにも様々な欠陥が窺われる。
顧客は上質な外食体験を期待していても、実際には本職のシェフさえ味の違いが分からないとも言われる食材や産地について、自らの舌で偽装を見抜くことは容易でなく、そのギャップを信頼できるブランドであると思い込むことによって埋め、ブランドの付加価値に対価を支払っているというのが現実である。だからこそ、ブランドとして評価される側には、プロとして様々なギャップを解消する(リスクを統制する)手腕と責任が求められる。しかしながら、報道から垣間見られる内部の体制・事情は、そうした顧客の期待に応えるものではなかったようである。
例えば、偽装の原因としてホテル側は、調理部門の意識不足、知識不足、あるいは組織の風通しの悪さなどを挙げている。問題発覚後にホテルが自主的に行なった内部調査の結果からは、偽装の存在を調理部門担当者が知っていたケースが確認されているが、「知っていても問題として指摘したことは一度もなかった」という回答があったという。また別の回答では、実際と異なるメニュー名になっていることを知っていても、「別に問題ないと思い込んでいた」との回答もあったようである。
こうした基本的な意識・知識の不足に加え、組織には調理部門を聖域化する風潮があり、これがメニューの考案や宣伝を行なう営業部門との情報共有を阻害していたという。
調理部門の聖域化や意識改革の停滞が問題の根源であるとの指摘はこれまでもなされており、実際に関東圏のホテルで生じた同種問題でも、調理部門の誤認識が原因であったと発表されている。
これは、2003年に水産庁がエビ等の海産物について表示の明確化を呼び掛かけて以降もなかなか浸透が図られず、今回の一連の報道でも見られる通り、小エビを「芝エビ」、大エビを「車エビ」と通称する慣行が残ったままであるということからも容易に推測される。
ただ、これらは全て個々の調理部門の誤認識が、優良誤認として景品表示法に抵触するかどうかというレベルの問題ではない。現に、冷凍マグロを「鮮魚」とすることへの批判には困惑するホテルもあり、景品表示法の立場からは違法とはいえないとの見解が示されている。
直視せねばならないのは、ブランドあるホテルが掲げたメニューに対する顧客の信頼と期待でありながら、その実態とのギャップに気づいてさえいないと思われるところにリスクの放置という状態、酷い場合は、放置したとの意識すらないケースが見られるのである。
4.ギャップを把握し解消する仕組み
概観したように、今回の不祥事は一部個人や、部署の意図的な不正や誤認、暴走といった問題ではなく、供給業者まで含めたホテルの食材管理体制全般、あるいは、既に同種の問題が続出しつつある状況からすれば、外食産業全体の抱えるリスクが一部顕在化した、まさに氷山の一角と見ることもできる。もし、そうだとするならば、顧客の大きな期待とその背景にあるブランドへの信頼に、十分に応えられるサービス提供体制が整備されていないなかで、各社とも事業として継続できてしまったわけである。
もともと不可能なサービスは掲げない、即ち適正・適切な提供を阻害する要因を克服できていないサービスは提供しないのが当然である。もし仮に、一旦提供可能と判断して開始されたものであるならば、変革により一度克服した筈のギャップが再び生じないよう、変革を継続する、あるいは変革を是正するなどして、そのリスクを管理していくことが最低限必要である。まして、ブランドとして認められる立場の企業ならば、なおさら一層重い責任が求められるのである。
例えば、名門ホテルの調理部門として相応しい知識の継続的な取得を促すこと、消費者意識の変化を学び、消費者の信頼や期待とは何なのかの問題意識をホテルの経営陣から現場スタッフに至るまでが共有することが重要である。殊にホテル経営陣には、調理部門出身者が少ないために口出しができないとの見方もあるが、それこそギャップの放置、リスク対策の放棄であり、経営者は積極的に「聖域」へ踏み込んで行かねばならない。そうして基本的な意識・知識のレベルを高め(底上げし)た上で、ホテルとしては各種ギャップを生じさせないための、あるいは仮に生じても、即座に発見し改善・解消するための装置、即ち制度を盛り込んでいかなければならない。
今回のメニュー偽装問題では、供給業者に対する食材の産地チェックプロセスが漏れていたり、メニューの作成から食材の発注・検品まで所管部門以外のスタッフが統一的・客観的に確認する制度が不不備であったため、長期に亘り発見できずにきたという。
一連の問題は、各社のスタッフが高い意識・知識を保有し、リスク情報を吸い上げる内部通報制度等の仕組みがあれば、問題の早期発見も可能であったかもしれない。また、食の安心・安全と顧客の期待実現を目的にした全社的な取組みを推進する常設機関を設置し、部門間の隔たりなく議論できる風通しの良い仕組みの導入も必要であっただろう。
この一連の騒動の中で、今度は我が国を代表する有名ホテルの一つが過去の偽装問題を公表したが、同ホテルでは既に2008年からホテルを挙げて上記のようなチェックやリスク情報収集、組織的な対策を可能とする体制を構築しているという。今回の公表と時系列の対策から見れば、「そのような仕組みがなければ問題は防げない」との経営判断があったものと想像される。
これと比較した場合、今回は社内外の各種ギャップをコントロールするための機能、つまりリスク対策が存在しないか、存在しても機能しない、いわゆる内部統制に不可欠な基本的要素が見事に欠落していたといえる。
勿論、対策の仕掛け等は他にもあろうし、業種・業態が異なれば内容もまた変化しよう。ただ、メニュー偽装問題を概観した本稿を通じて主張したかったのは、顧客から期待という付加価値を頂く以上、ホテルや外食産業に限らず、その期待に対して付加価値で応える、あるいは報いていくという困難な作業を確実に克服する責務が厳然として存するということである。
企業が顧客の期待を実現できなかったということは、単に一個人・一部門としての問題ではなく、組織としての不作為が最大の問題、あるいは出発点であったと解するべきである。逆にいえば、そもそも自社では応えられないような大きな(あるいは淡い)期待を抱かせるなということでもある。
リスクとギャップの関係を積極的に解釈すると、事業やサービスの開発や展開の中には「ギャップをビジネスチャンスに変える前提として必要な変革とリスク対策」が含まれると理解することもできる。企業にとってリスク対策の不備・不足は、自らが実現しようとする事業の目的を阻害するものであり、企業の存在意義を脅かすものとなる。皆さまの会社や各担当事業におかれましても、提供価値を減殺するギャップの存在とその放置に今一度眼を光らせて頂く機会として、こうした他社事例を他山の石として見ることで、今一度、気を引き締めて頂きたい。
また、弊社としても客観的視座に立ったリスクの評価と対策をご提示していくので、同種問題の発生防止等にお役立て頂ければ幸いである。