SPNの眼

企業不祥事発生のメカニズムとミドルクライシスの考え方に基づくコンプライアンスの本質(下)(2014.3)

2014.03.05
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(4)企業存続の生命線たるコンプライアンス

 コンプライアンスは、社会からの要請、社会からの信頼に応えるべく真摯な対応をすることである。なぜ、社会的な要請、社会からの信頼に応えなければいけないのかというと、それは、会社は「社会の公器」だからである。裏を返せば、企業は、「社会からの要請、社会からの信頼に背かないよう、真摯に対処すべき”義務”」を負っていると考えることが出来る。これは「社会的使命」という言葉で言い表すことができることから、「コンプライアンスとは、企業の立場ら見ると、企業が「自らの社会的使命を踏まえて真摯な行動を取ること」と言い換えることが出来る。

 とすれば、コンプライアンスの実現には、コンプライアンスの理念を踏まえて、企業の社会的使命を行動「規範」として具体的に社員に落とし込むこと、言い換えれば、コンプライアンスの理念を企業の「スピリット」として共有し、企業としての行動に反映させることが重要となる。それは、コンプライアンスの理念を反映して行動できる社風を作り上げることであり、これは内部統制でいう「統制環境」の整備にほかならない。

 それでは、「コンプライアンスとは、企業が自らの社会的使命を踏まえて真摯な行動を取ること」とはどういうことか、不二家の問題を例に考えて見たい。

 食品メーカーの社会的使命は何かというと、言うまでもなく「安全な食品を社会に提供すること」である。とすれば、「安全な食品を社会に提供する」ことを前提として「消費期限」の切れたものは、安全性に疑いの余地がある以上使わない、ということが社会的使命を踏まえて真摯な行動ということであり、食品メーカーとしてのコンプライアンスということが出来る。

 ところで、社会的使命は必ずしも一つではない。会社そのものの社会的使命(存在意義)の他に、例えば上場企業であれば、上場企業としての社会的使命もある。日本版SOX法も、上場企業としての社会的使命である株主からの受託責任として、企業の業績を適正に表示・開示し、証券市場の信頼を確保するという根幹を多くの経営者が忘れ、私利私欲に走ったことを契機として制定されている。

 社会的使命に基づくコンプライアンスの理念は、企業として絶対に守るべき生命線であり、会社の存在基盤(信用)と考えられることから、上場企業としての社会的使命を忘れ、粉飾決算等を行った企業は当然、上場企業としての存在基盤を失い、証券市場から排斥(上場廃止)されることになるのである。

 このように、企業がその社会的使命に基づくコンプライアンスの理念に反する行動を取ったときには、そのこと自体が危機に陥りかねないことを十分に認識し、このような企業の社会的使命を踏まえたコンプライアンス理念を、具体的な思考習慣・行動習慣として社内に周知・浸透させ、社員一人ひとりの行動に反映させていくこと、すなわち、コンプライアンスの理念を踏まえて行動できる統制環境の整備が重要である。そのためには、

        • 日頃のコミュニケーションや業務、指導の中で自分たちがすべきことは何なのか、会社としては何を最優先とすべきか(行動「規範」)、について絶えず考えること。
        • そして、その最優先事項(行動「規範」)を明文化し、社員全員で共有して、絶えず意識の高揚・啓蒙を図ること。
        • 行動「規範」違反に対する内部通報には、会社として厳重に対処すること。
        • 行動「規範」違反に対しては、厳重なる社内処分を行うこと。

 等、従来から言われているコンプライアンス体制構築が不可欠であることは言うまでもない。

 依然として、「コンプライアンスは営業の足かせ」という声を聞くこともある。しかし、この命題は正しいのだろうか。例えば、暴排条例が各地方で施行され、今日では暴力団排除が社会的な要請となっているが、先般問題となったメガバンクは事業を継続できているものの、金融庁から業務停止命令を出されるなど、その経営に及ぼすダメージは相当なものである。過去に福岡県で暴力団との関係で実名公表された企業はすでにいくつも廃業していることを考えても、むしろコンプライアンスの理念に反する行動を取ったことが消費者からの信頼を失い、売上を著しく減少させていることは紛れもない事実である。コンプライアンスの理念に反する行動を取ることが、営業や売上向上の足かせになっている現実を直視しなければならない。

(5)「コンプライアンス」に関する動向の変化とリスクマネジメント

 ここまで見てきたように、企業不祥事の発生のメカニズムにもコンプライアンスの理念についても「社会の信頼」獲得という指標が重要なことが明確となった。そこで次に考えなければいけないのは、「社会からの信頼」に関してである。

 「社会からの信頼獲得」という場合、当然に社会動向の変化を踏まえておく必要がある。社会動向の変化を読取りながら、その時々の状況でどのような行動・判断をすることが合理的なのかがコンプライアンスの主題である以上、「社会動向・社会情勢」の把握なくしてコンプライアンスの実現はありえないからである。

 ところで、コンプライアンス論が声高に叫ばれた当初と比べ、社会情勢が大きく変化しているといっても過言ではない。

 その社会情勢の変化とは、すでにご存知の通り、

        • 消費者意識(権利意識)の高まりとそれを受けた各種消費者保護法制の制定
        • 労働者意識の高まりによる人材の流動化
        • インターネットの普及による「個人」の発信の機会の増加

 等があげられる。

 消費者、労働者、株主といえば、企業を取り巻くステークホルダーの中でも中心的な存在である。彼らにとっては、企業のコンプライアンス違反により直接、ないし大きな影響を被る。従って、おのずとコンプライアンス違反や、企業の背信行為、反社会的行為などに対して非常に敏感になり、企業に対する要求や監視が厳しくなっていく。

 そして、それを後押しするようにインターネット、特にブログ等が急速に発展し、労働者や退職者からの内部告発や暴露、消費者からのクレームや企業批判、株主による企業評価など、意見を発表・同調する「場」が形成されたため、彼らの企業に対する監視の目は、今日ではかなり大きな「力」となっている。言い換えれば、消費者、労働者、株主らを中心とするステークホルダーが、様々な角度から企業活動への監視・監督を強めており、企業の姿勢や行動がどこかで、何らかの形で問題視されると他にも連鎖し、一気に社会問題化するという、言わば「社会的監視」の構図が出来上がっているということができる。

 この「社会的監視」の構図の持つ力は強い。社会的監視の構図は、企業を取り巻くコンプライアンスにも大きな影響を及ぼしている。

 その影響とは、

        • 各種の社会運動や関連団体による社会運動や扇動的書き込み、請願行為、クレームが活発化している。
        • 事業者の事業活動を規制する法律やステークホルダーを保護するための法律が次々と成立している。
        • 事業者の自主規制に委ねていてはほとんど改善されない状況であるため、悪質事業者の取締りを強化するため、監督官庁への権限集中・権限強化が図られ、行政の事後規制が強まっている。
        • 具体的な紛争解決手段として裁判員制度、労働審判、消費者団体訴権、刑事訴訟における被害者尋問制度など、国の新たな制度が続々と創設・設置されている。
        • 視聴率や世間受けを狙うマスコミが、社会問題や被害実態等を取材・報道し、それにより大きな世論が喚起・形成される。

 「社会的監視」の持つ力が監督官庁の監督のあり方にも影響を及ぼし、世論に後押しされる形で監督官庁が事業者への監督を強め、ガイドラインの乱発やコンプライアンス違反があった企業に対する行政処分が多発・積極化している。

 等、様々に見られる。

 このようなコンプライアンス状況の変化を受け、企業としては、新たな法律の制定によるマニュアル改正等の体制構築、マスコミ等を含めた社会全体への情報開示、説明責任の強化、各種行政ガイドラインの精査・検討・対応等が必要となるが、企業のリスクマネジメントとの関係で特に注意しなければならないのは、最後の点、特に行政処分の多発に関するリスクである。

 このような行政処分の多発とそれに伴う収益悪化のリスクを踏まえ、企業としては、どのような対策が必要なのか、コンプライアンス推進のためのリスクマネジメントについて考えてみたい。

 確認になるが、コンプライアンスは、「企業が自らの社会的使命を踏まえて真摯な行動をとること」である。そこでは、自社の社会的使命は何なのかについて、社会情勢を見極めながら判断していくことが求められるが、その根底にあるのは、「社会の要請や消費者(利用者)の期待・ニーズに柔軟に、弾力的に対応すること」である。

 とすれば、第一に企業としては社会情勢や社会動向を的確にキャッチして、それを踏まえて社内の体制や運用を改善していくことが不可欠である。すなわち、日々のニュース等に着目して、その情報を「他社の出来事」「他人事」と捉えるのではなく、

        • こんなことがあったが(行政がこんな動きをしたが)、うちの会社の現状はどうなっているか
        • このような形で規制が強化されているが、当社の現状では問題はないのか
        • 当社にこのような立ち入り検査が入った場合は、対応が出来るのか
        • このような事案では、このような処分が行なわれるのか

 等を確認し、自社のコンプライアンス体制と運用を強化していくことが必要となってくる。

 「社会のコンプライアンスの動向にアンテナ(=リスク・アンテナ)を張って、そのアンテナで得た情報を自社の体制強化に活かす」という発想が、従来にも増して必要となるのである。

 第二に、コンプライアンスについては、特に各事業部等の現場における推進・取組みが必要であり、日々の現場で起きている小さなコンプライアンス違反や不祥事の「芽」に「目」を向けて、コンプライアンス違反を放置・容認しない(=不作為ではなく、作為的に改善していく)業務環境を整備していくことが重要である。

4.改めてコンプライアンスの本質を考える

(1)「コンプライアンス」の本質とは

 企業不祥事が社会の信頼を指標とすることに起因して発生するものであり、社会からの信頼獲得行為がコンプライアンスであるとしても、実際には、企業不祥事でコンプライアンスが問題となるケースは往々にして、過去の行為や判断あるいは過去から行われたきたしきたりや実務要領について、数年後にその行為が問題視される。

 「判断や行動(対応)を行った当時は問題なかった」では済まされないのが、現在のコンプライアンス実務であり、内部統制システム構築における裁判例である。これは、当時の判断(対応)が適正かどうかを判断するのは、判断した時点(過去(行為時))の社会の目ではなく、時系列的に後となる「現時点の社会の目」を基準とするということである。

 社会の要請や消費者(利用者)の期待・ニーズに柔軟に、弾力的に対応することがコンプライアンスの本質であるとするならば、判断(対応)をする際に、時系列的に後となる「現時点の社会の目」を基準(行為時からみれば将来の動きを読んでということ)にしなければいけないということになるが、将来の社会動向など逐一正確に予測できるるはずもない以上、正しい行動を予め行うことを突き詰めていく「コンプライアンス」論は全く空虚な概念論に堕することになりかねない。

 そこで、「コンプライアンス」論を空虚な概念論としないための発想の転換が求められる。すなわち、企業不祥事が社会の信頼を指標とすることに起因して発生するものであり、社会からの信頼獲得行為がコンプライアンスであるとするならば、その意味は、将来の社会動向を読んで判断せよということではなく、その時々の「社会的要請」や「社会的使命」を踏まえて、過去の判断や過去からのしきたりが現在でも妥当するものなのかどうか、現時点における過去の判断の正当性評価を絶えず行っていくジャッジメント・モニタリングこそが、企業不祥事発生の抑止に向けた「コンプライアンス」の本質であると考えることができる。

 既に見たように、企業不祥事は、そもそもが「起こりうるもの」、言い換えれば、何らの対策も採らなければ(不作為)、大きなリスクを生み出す「芽」が備わっているものである。その結果、人的・組織的要因リスクへの対応策である内部統制システムが形骸化し、社会からの信頼獲得を実現できないコンプライアンス違反に陥る事態に発展していくことに鑑みれば、自社の現状と社会の動向を絶えずリサーチしていかなければ、まさに「不作為」による不祥事発生リスクを顕在化させてしまうことになる。

 漫然と、組織内部の価値観や基準に拘泥し、「自分達のやり方、考え方(ノウハウ)」という内部の特定ドグマ(=会社の常識)に依存・拘泥する体質、思考停止の状況が、「不作為」による企業不祥事の横行、言い換えれば、「自浄作用が働かない」「今更公表できない」「なかったことにしよう」という「不作為の連鎖(ネガティブ・スパイラル)」を招き、企業不祥事の可能性を増幅させることになる。

(2)「自浄作用を働かせるために」~「不祥事は起こらない」前提か「不祥事は起こる」前提か

 企業でコンプライアンスを推進していくためには、「自浄作用を働かせる」ことが重要であるとされるが、「自浄作用を働かせる」という文脈は、まさに、不祥事の芽に目を向けずに、何もしないことでやり過ごす(過去の価値判断を追認する)態度では不祥事が発生するリスクが内在化(=本質的に「不祥事は起こる」)されていることに鑑みて、そのリスクを低減させる(「自ら」その不祥事の芽を「浄化」する)ための意識と勇気と行動を行う(=作為)ことを意味している。

 しかしながら、従来のコンプライアンスの発想は、「倫理観を高めれば企業不祥事は起こらない」、「法的・倫理的に正しい価値観を教え込み、その価値観(規範や規則)にしたがって、判断・行動させる」という、「正しい行動をすれば不祥事は起きない」という前提に立脚していた。多くのコンプライアンス研究を見ても、不祥事を起こした企業の組織的な体質や当時の判断を分析し、その適否を論じて、「こうあるべき論」が展開されている。しかし、「こうあるべき論」の中には、現在の視点から過去の行為を考察したものもあり、このような考察は、倫理・法令遵守をすれば不祥事は起こらないという従来の企業不祥事研究やコンプライアンス論は、逆に、過去のある時点における古い価値観や判断基準に基づき作られた社内の仕組みやルール・マニュアルを金科玉条のごとく振りかざす「形式的コンプライアンス」(先に述べた「コンプライアンス」概念論)の罠に陥るリスクを秘めていること、言い換えれば、そのような発想では抜本的な企業不祥事防止やコンプライアンスの実現にはなりえないこと改めて認識する必要がある。

 そして、このような、「正しい行動をすれば不祥事は起きない」という発想に立脚する限り、「自浄作用を働かせる」という言葉の本質的な意味は永遠に理解できない。そこには、浄化すべき膿が存在しないからである。だからこそ、何時までも「自浄作用が働かない」状況が続いてしまう。結局コンプライアンスという言葉だけが呪文のように社内外で用いられる。これこそが、先に指摘した「コンプライアンス」が空虚な概念論に堕している証左である。

 「自浄作用」とは「自ら」「浄化する」ことである。「放っておいては影響が出るもの」(=不祥事の芽)があるからこそ、それを浄化する必要があるのであり、そもそも「不祥事は起きない」ことを当然の前提とするならば、何を浄化するのか、その対象が全くわからないまま(敵を知らないまま)、ただ、「自浄作用」「コンプライアンス」と叫んでいることに他ならないのである。

 言い換えれば、どんなにその時点で過去の基準で判断・ルール化された「倫理観」や「価値観」を教え込んでも、そこでいう「倫理」の内容や「正しい価値観」は時代とともに、あるいは社会の情勢やおかれた立場によって変わっていくものという発想で、その内容を適宜、社会の動向や情勢をふまえて検証していかなければ、結局は「会社の常識、社会の非常識」の状態となってしまう。その結果、社会的使命・要請との齟齬をきたし、不祥事に発展してしまうのである。

 コンプライアンスの本質が、何もしなければ不祥事は起こることを前提にして、過去の基準や判断・価値観が、現在の社会的事情に適合するのか、その正当性を評価し、改善・修正していく点にあることを正しく認識しておかないと、過去の判断や価値観の修正を躊躇したり、過去のしきたりをそのまま踏襲したり、触れてはいけない過去の出来事を放置したりという形で、より一層社会的要請との乖離を助長してしまうことに留意しなければならない。

 従来の書籍で語られているような、「こんなことをしたから企業不祥事が起きた」「こういう企業体質が企業不祥事を生んだ」的な発想は、それこそ「正しい行動をすれば不祥事は起きない」という発想そのものであり、だからこそ企業不祥事の抑止のためのコンプライアンス論として機能しなかったのである。

5.実践的な危機管理指針としての「ミドルクライシス・マネジメント論」とコンプライアンス

 改めて述べれば、社会的適合性を絶えず志向しながら過去の判断や基準を見直していかなければ(不作為)、企業不祥事が発生してしまうことになると肝に銘じておかなければならない。これこそが、「会社の常識、世間の非常識」と言われる由縁である。

 このような企業不祥事発生のメカニズムとの関係で考えると、「過去の判断の正当性評価を絶えず行っていくジャッジメント・モニタリングこそが、社会的要請への適合性を求める『コンプライアンス』の本質である」と考えるべきなのである。

 ところで、SPクラブの会員企業の皆様は、当社が、従来より実践的な企業危機管理のための指針として、「ミドルクライシス」に基づくリスク対策、いわゆるミドルクライシス・マネジメントを提唱・推進してきたことは既にご存じのことと思う。

 このミドルクライシス・マネジメントがなぜ、実践的企業危機管理論足りうるのか。それはまさに、

<pstyle=”margin-left:30px;”>①ここまで論じてきたような「何もしなければ、不祥事は起こる」ことを前提にして、 <pstyle=”margin-left:30px;”>②まだ埋め立てた(人為的対策を行った、すなわちリスク対策として行った施策としての)土の中にじっとしている不祥事の「根」(一般的にリスクの概念とされる事態が起こりうる(芽が出る)潜在的可能性)はなかなか見えないため、その段階で何らかの作為を要求することは現実的には難しいことに鑑み、<pstyle=”margin-left:30px;”>③埋め立てた土から芽を出した不祥事の「芽」に目を向けて、この小さな「芽」を不祥事発生リスクが顕在化した「若干の危機」として把握し、その小さな芽の段階で将来の芽を摘み取る(発生した事案への対応という意味においてクライシスマネジメント)とともに、新たな芽を出さないように「根」も摘み取ったり、土を厚くしたり、土からコンクリートに変える等の新たなリスク対策を施す(改善による予防という意味においてリスクマネジメント)

 という考え方に基づくものだからである。

 リスク対策として施した土を破って芽を出した不祥事の小さな「芽」、すなわち「若干の危機」の危機を「ミドルクライシス」と名付け、このミドルクライシスを起点に、それ以上芽が大きくならないようなクライシスマネジメント(簡単にいえば消火作業)と次に芽を出さないようなリスクマネジメントを行うことで、過剰な(コストと手間ばかりかかる)リスクマネジメントと不作為(小さい芽のうちにそれを摘み取らない)による不祥事発生をさせないという考え方が、ミドルクライシス・マネジメントである。

 このミドルクライシス・マネジメントの発想は、過去の判断や価値観に基づくリスク対策に綻びが見えた時に、その時々の社会情勢等を踏まえて、小さいうちに早めに対処して、従来の判断や価値観を改めるという意味において、今まで論じてきたコンプライアンスの本質と共通する。

 また、どんな精緻なリスク対策も、それが過去の基準や技術・価値観でなされている限り必ず綻びが出る以上、綻びを見つけて早期に改善することが重要であること、そしてそのような取組を行わなければ、芽がどんどん大きくなり、やがて花開いてしまう(世間に認知・注目されてしまう)という不祥事発生のメカニズムにも合致する。

 ちなみに、リスク対策として施した土を破って芽を出した不祥事の小さな「芽」を探すのは、日々のモニタリングやマネジメントであるし、その日々の探索作業が行われているかを更にモニタリングするのが内部監査、そしてその要因分析と改善が確実に行われているかを確認するのがレビューという活動として、内部統制システムの要素として重要になってくる。だからこそ、内部統制システムの目的論として、コンプライアンスの実現が提唱され、あるいは企業不祥事防止の仕組みとして内部統制システムが活用されるのである。

 現代において「コンプライアンスの考え方」として求められているのは、このようなミドルクライシス・マネジメントの考え方に基づくコンプライアンス論と、その前提として、「何もしなければ企業不祥事は起こる」というリスク前提の企業不祥事発生メカニズム論である。

 新しい知見や社会情勢により、過去の価値観や行動を見直しながら人間は成長していくが、この過程は、その時々の「社会的要請」や「社会的使命」を踏まえて、過去の判断が現在でも妥当するものなのかどうか、現時点における過去の判断の正当性評価を絶えず行っていくというコンプライアンスの取組と共通している。

 また、日々の小さな体の異変を放置しておけば、病状が悪化して死に至りかねないことは健康管理においての自明の理であるが、これは何もしなければ、不祥事は発生するという不祥事発生のメカニズムと共通である。

 日々の生活においては、皆様も、そのような事態に至らないように、小さな異変(=「若干の危機」=ミドルクライシス)があればすぐに病院に行って、治療・処置するというアクション(作為)を行っているはずである。

 だとすれば、その時々の「社会的要請」や「社会的使命」を踏まえて、過去の判断が現在でも妥当するものなのかどうか、現時点における過去の判断の正当性評価を絶えず行っていくというコンプライアンスの取組こそが、企業や組織を成長させるための、あるいは企業の「命」を守るための必須のプロセス、危機管理ということができるのではないだろうか。

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