SPNの眼

棄民と救民、政策上の矛盾~真の国益と正道な企業活動とは~(2014.5)

2014.05.07
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 昨年7月初旬に、広島の原爆投下後、放射性物質の含まれた「黒い雨」の援護地域の見直しの議論をしてきた厚生労働省の検討会が、援護地域外での放射線による身体的影響を「科学的に判断することは困難」と結論づけた。

 被爆地の広島市などは08年度に住民3万7000人を対象に実施した健康意識調査で、「現在の援護地域より約6倍の範囲で、黒い雨が降った可能性がある」として援護地域の拡大を求めていた。しかし結果として、援護対象区域拡大は否定され、結局、政府も追認した格好となった。

 実際には、「黒い雨」の被害を受けながら、自らの家族に対してさえ、「自分は黒い雨には遭っていない」と嘘を吐かざるを得ない人々がいるそうだ。子供や孫の代になって、何らかの異常が発症して、「まさか、お母さん(お父さん)は黒い雨に触れていないよね」と聞かれたときの苦渋に満ちた回答である。

 本当のことを話してしまえば、目に見えぬ差別などが未だに残り、深い心の葛藤を抱き続けなければならないことを懸念しての回答である。そのような”隠された被爆者”が、切り捨てられた瞬間であった。

 一方、時を同じくして、昨年7月末には、水俣病被害者救済特別措置法による救済申請が締め切られた。これを受けて、多くのマスコミが、「(今回の)申請の締め切りで、膨大な数の水俣病潜在患者が切り捨てられる」と警鐘を鳴らした。

 今なお、水俣病への偏見や差別が色濃く残る現地では、様々な理由で申請を躊躇するケースが、少なからず見られたという。

 これまでに、経済成長と引き換えに、つまり、経済成長のために眼を瞑り、被害状況について口を閉ざし続けたものの、水俣病患者は増え続けた経緯がある。

 本人や家族らが並々ならぬ辛酸と困苦を味わったことは想像に難くない。自らの症状について語ることは、地元の経済発展を支える旧チッソという大企業に対して盾を突くことになり、事実上、現地では不可能なことであった。そのような状況のなかで、救援申請を締め切るということは潜在患者の切り捨て、即ち”棄民化”を意味する。

 さて、この二つの事例から、何が見えてくるだろうか、「日本国政府」が「日本国民」を切り捨てるとは、どういうことなのであろうか。これらの事例以外に、あるいは、これらの事例以前に、同様の”棄民化政策”が採られたことはあったのだろうか。もし、あったのならば、何故そのようなことが繰り返されるのであろうか。それを見ていきたい。

 繰り返される棄民政策

 広島と水俣以外で、棄民政策が採られたことで、記憶に新しいところは、東日本大震災ではないだろうか。なかでも、特筆すべきは、福島第一原発事故後に緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の情報が発信されずに、より危険な高濃度放射線地域とは知らされずに、そこへの避難を余儀なくされた人々がいたことであろう。

 これが意図的であったかどうかは、今なお明確ではない。しかし、やはり途中においてでも警報を発しなかったということは、結果的にそれらの人々を”捨てた”ことになりはしないか。実際、「我々は見捨てられた」と当時のインタビューに答えた避難住民が多くいたことは、各メディアで紹介されていた。

 さらに、話は昔に遡る。あの太平洋戦争時に、サイパンや沖縄で多くの日本人が玉砕した、或いは、玉砕を余儀なくされたことは歴史的事実である(開戦の是非・経緯はここでは問わない)。当時の状況からして、それもまた致し方なかったと言ってしまえば、それまでである。捕虜として生き恥を晒すことはできないとの意見もよく聞かれたものである。

 しかし、非戦闘員である民間人、特に婦女子までを巻き込み、自殺を強いる必要が本当にあったのかどうか、やはり疑問は残る。「せめて、お前(たち)だけは生き残れ」と言って、もう一度、祖国の地を踏ませる選択肢は本当になかったのだろうか。

 一方では、終戦後は帰国することもままならず、満州やシベリアで置きざりにされ、抑留されるなど、多くの同胞が国から見捨てられた(もちろん、見捨てざるを得なかったケースも含める)。さらに遡って、明治維新時の会津藩の命運すら、厳密な意味での必要性・合理性から見れば、違う展開も考えられた。賊軍の汚名を着せられ、”切り捨てられた”ことに外ならない。こうして見てくると、”棄民”の歴史は意外と長いことが分かる。

 話をまた現代に戻そう。これまで取り上げた事例とは、全く様相は異なるが、近年、一部では、日本における就職氷河期に遭遇した若者、特に1970年代後半~80年代前半に生まれた世代(ポスト団塊ジュニア)が「ロスト・ジェネレーション」や「見捨てられた世代」などと呼ばれている。彼らの場合、バブル崩壊後の失われた20年のなかで、グローバル競争に打ち勝つための自己責任原則を強要され、結果的に雇用喪失を促してしまった国の経済政策によって”捨てられた”面は否めない。

 年収200~300万円の非正規社員が、全体の2~3割を占めるようになった現状をどのように捉えればよいのだろうか。ここには、国の政策が必ずしも国民のためになっていないことが窺える。雇用の流動性やら、多様な雇用形態の提供などと囃したてられた結果がこれであった。さらに、その後、リーマンショックを挟んで、リストラや雇い止めなどが続いた。直近では、政府は「残業代ゼロ」と批判された「ホワイトカラー・エグゼンプション」の変形制度を導入しようとしている。

 「アベノミクス」が”失われた20年”を取り戻すための経済政策であることは、多くの国民が理解しているが、どうも競争力確保の志向方法が企業単位に傾いていて、社員・勤労者目線になっていないのである。企業と社員(非正規含む)が、まるで別物のように切り離されているのである。

 国家による”棄民”が”棄国民”であれば、企業による”棄民”は”棄社員”ということになる。安易なリストラ以外にも、例えば、内部告発の犯人探しにより見つけた者を左遷したり、いじめの対象にする、あるいは、不祥事発生後の”とかげの尻尾切り”など、切り捨て以外の何ものでもないだろう。

 捨てる側と捨てられる側の論理

 社会における部分的な切り捨ては、やがてその範囲を他に転移して、切り捨ての対象を拡げていくことになりはしないか。それは国力の向上とか、国民の幸福に資するものなのだろうか、今のところ、明確な答えが出ているとは言い難い。

 それでは、切り捨てられないために、また、切り捨てないためには、何が必要なのだろうか。

 企業の危機管理では、終極的に守るべきは従業員であることは自明である。何故なら、ブランドも、顧客も、信頼も、企業価値も、すべて従業員あってのことだからである。リストラにまで”戦略”という名を付して、一時の株価向上に繋がったとしても、社員を切り捨てれば、やがて経営に歪みを生じ、他のステークホルダーから、逆に企業が見捨てられることすらあるのである。

 それでは、国家にとって終極的に守るべきは、何であろうか。もちろん、国民の生命・財産・幸福・文化・伝統、そして国土であろう。国土を守れない政府に国民が守れるはずはない。これらはすべて、近年、喧しい尖閣・竹島両島問題、そして北方領土まで含め、戦前より繰り返された”棄民政策”や、その政策動機の延長線上に位置付て考えるべき問題である。国土を捨てる”棄土”と、国民を捨てる”棄民”が悲しく重なって見えてこないだろうか。

 ただ、この問題は政府を批判すれば事足りるわけではない。”棄土”と”棄民”を回避する責任と覚悟を問われているのは、何も政府だけでなく、私たち国民一人ひとりなのである。具体的に言えば、犠牲を強いる方に与しないということと、国として必要な外交交渉を先送りする政府を支持しない態度である(ただ、それが憲法改正や集団的自衛権の容認に直結するかどうかは、また別問題であるので、ここでは触れないこととする)。

 さて、昨年7月下旬放送のNHK「クローズアップ現代」では、水俣病がテーマとして取り上げられた。天草市出身で、水俣病に関する著作で有名な作家の石牟礼道子氏は、番組のなかで「私たちは、代わりに病んでいる人たちから許されて生きている。<中略>(患者たちは)代わりに病んどる、日本人の代わりに」と語った。胸に鋭く突き刺さる言葉である。これは戦争や大震災においても、共有される”残された(生かされた)者”の義務内容を開示する。

 そもそも「許してくれた人」を”棄民化”するなど、「許される」はずがない。被爆者や水俣病患者は見なかったことにしよう、いなかったことにしよう、戦時中、戦況が悪化しているのに、連戦連勝であることにしよう、「SPEEDI」は動かなかったことにしよう、若者の雇用は非正規労働や中途採用の増加で十分確保できたことにしよう、日中間・日韓間・日露間には領土問題は存在していないことにしよう、すべての動機が通底している。

 「元々、存在していない人々をどうやって棄民化できるのか」などの詭弁まで聞こえてきそうだ。つまり、これらは”自分は許された存在である”との自覚がない傲慢で無責任な思考から出てくるものということである。

 危機管理的アプローチ

 リスクの想定もリスクの分析も、見えないものをも可視化してこそ、その深みを実現することができる。見えているものを見えないことにする、あるいは見えているものだけを守る思考や態度は、果たして危機管理的であろうか。また、所詮他人事と済まし、冷たい視線で”厄介なもの”、”面倒なもの”を自分から遠ざけ、自分には関係ない出来事(人々)だと得心する態度はどうであろうか。

 「危機管理」が不合理や理不尽によって虐げられている者への眼差しを忘れたとき、「危機管理」の目的は遂行し得ない。やがては、同様のことが我が身にも降りかかり、それまで守られていたものすべてが崩壊する契機となってしまうからである。この目的不履行は、国にとっても、企業にとっても、個人にとっても、同様なのである。歴史がそれを雄弁に物語っている。このことは絶対に忘れてはいけないことである。

 いつ、立場が逆転したり、”捨てられる”側に組み込まれるかなどは、実は誰にも予想できない。病んでいる人々や、亡くなった人々、もっと言えば、虐げられている人々から”許されて生きている我々”の覚悟が今、真に試されている。許してくれた人々を”捨てる”ことなど、それこそ危機管理以前に人としてどうかという問題である。つまりは、「人としてどうか」との疑義を持たれる人間には、危機管理を含めた政策は、任せられないということになる。

 見るべきものに眼をそむけずに、直視する姿勢からこそ覚悟と責任は生まれる。数多ある企業不祥事とて同じである。最も怠ってはいけないことは、やはり怠ってはいけないのである。「危機管理」は”危機管理遂行者”の身分の保証や立場を守るためのものでは決してない。そのような覚悟と責任を持てば、見えないものも見えてくるし、見えるものを見えないなどと嘘を吐く必要など決してないのである。

 救民から棄民への変容

 残念ながら、そのような覚悟と責任を有していないため、さらに付け加えれば、長期的視点に立てないために “棄民政策”が採用されてしまう。このとき、瞬間的には、自己利益に絡み取られた多くの国民が、それを支持してしまうことも歴史的事実である。

 政治の目的は、すべからく、”救国”即ち”救民”にあるはずである。ここで、国家と国民との関係の整理が必要であるが、要は守るのはどちらかという話に行き着く。

 結論から言えば、守るべきはもちろん両者であり、この二つは大枠で一致しているはずである。問題は”はずである”にも関わらず、”一致せず”に両者が乖離してしまう、換言すれば、両者に対する解釈がその時々によって変容してしまうことがあり得るということである。

 具体的に言えば、一方が一方のために”犠牲になる”ことがあるためである。ところが、この犠牲のシステムは片務的なのである。つまり、「国民が国家の犠牲になる」ことはあっても、「国家が国民の犠牲になる」ことは考えられないからである。何故なら、後者は、犠牲になった国家はすでに国家の体をなさず、自らの国家を犠牲にする国民は、最早国民とは呼べないからである。逆に、国民から見捨てられる国家があるとしても、それは外形的には政権交代として捉えるべきであろう。まして、日本は幸運にも国が分割されることはなかったし、誰もそのようなことを望んではいない。さて、そうなると必然的に問題は前者の方になる。

 前者は「国民が国家の犠牲になる」ケースである。このケースでは、そもそも”それは何のためか”と、”どの程度の犠牲か”が問われなくてはならない。目的は、国家や民族としての尊厳や誇りを守ることであろうし、犠牲の程度に関しては最小限に抑えることであろう。

 しかし、前述したように、状況によって目的が変容したり、程度が拡大したりすることが少なからず起こる。これが”救民”が、いつの間にか”棄民”に逆転してしまうロジックであり、メカニズムなのである。ここをしっかりと押さえておくことこそ、国民の責務と言えよう。

 何故なら、自らが”棄民化”の対象にならないためであり、同時に”棄民化を推進する政権を選ばないためであることは自明であろう。国や公のために、ある程度の犠牲を覚悟し、そのために我慢や耐え忍ぶことがあったとしても、そこには、やはり”大義”がなくてはならないのである。

 最後に、少し話は逸れるが、今回の韓国旅客船セウォル号の沈没事故において、修学旅行中の高校生を中心にして、残酷な言い方だが、彼らが”見捨てられた”ことは事実として認められる。この一事に関してのみ、韓国の後進性や国内的弊害を論うことは簡単であり、確かにそういった面は否めない。しかしながら、日本とて、かつて同様な事故を経験しているし、今なお、最終的な責任が不明確・不透明なままなっている事例は数多ある。

 一番恐いのは、この”無責任体系”のなかに、”棄民化政策”の選択も、”棄民化政策”の結果も、埋没してしまうことなのである。企業活動とて例外ではない。

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