SPNの眼
「ヒト」・「モノ」・「カネ」。言わずと知れた、経営における3つの重要な資源ですが、この中で、現時点では「ヒト」だけが、感情を持ち、自らの意志で自分の取る行動を決めて動きます。科学技術は日々進化し、AIやロボットが「ヒト」以上の能力を発揮している分野もありますが、「モノ」や「カネ」をどのように得て、どのように活用するか、最終的に決定の判断を下し、実行まで一気通貫で行えるのは、今のところ「ヒト」のみでしょう。
言うなれば、「モノ」も「カネ」も、全て「ヒト」次第だということです。「ヒト」が「モノ」をうまく活用し、より効率よく、多くの「カネ」を得られるようなやり方を考え、それを実行していけば、会社は潤います。しかし逆に、その「ヒト」が、「モノ」を私的に利用し、自分が不正に「カネ」を得ようとすることも考えられます。成し遂げられるかは別としても、「どちらに向かおうとするか」は、その人の「気持ち」次第です。「ヒト」は経営における最重要の資源でありつつ、最大のリスクでもあるのです。
「ヒト」に起因するリスクを、少し詳しく見ていきましょう。
まず思い浮かぶのは、「問題社員」と呼ばれている人ではないでしょうか。
以前、名刺に”社会保険労務士”と入れた途端に、「辞めさせたい問題社員がいるのですが・・・」という相談が次々と舞い込むようになったことを思い出します。「辞めさせたい」と思うほどですから、それだけ「ヒト」に起因するトラブルが、職場へ悪影響を及ぼしているということでしょう。
しかしこの「問題社員」、人によって思い浮かべる人物像が異なるように思います。良心を持たず、犯罪行為に手を染めるような生粋の「悪人」ばかりではなく、「従来のやり方に疑問を持つ人」や「上司の指示をうまく汲み取れない人」、「会社が望むようなパフォーマンスを時間内に発揮できない人」「心身の調子を崩し、業務に支障が出ている人」など、本来であれば、誠実な話し合いや指示伝達の工夫、研修や業務への習熟、ストレスケア等によって解決できるはずのことを、「問題社員」の一言で切り捨て、本来は会社発展のために貢献しようとしている人材(貢献できる可能性を秘めた人材)を、「周囲に迷惑をかける人」として無視や放置、不利益な取扱いをし、「早く辞めればいいのに」と追い出そうとしているケースもあるように感じます。
せっかく「会社のために」と努力しても、「問題社員」「迷惑な人」「会社の足を引っ張る人」として扱われたならば、どう感じるでしょうか。職場や会社に不信感を抱き、敵と見なし、「自分が受けた苦痛の、仕返しをすべき存在」となり、いつしか「会社のために」と、会社と同じ方向を向いていたベクトルが逆を向き、「会社vs問題社員」の構図が出来上がります。程度の差こそあれ、安易な「問題社員扱い」が、真の「問題社員」を生み出しているケースは、おそらく多くの職場で日常的に見受けられるのではないでしょうか。一度心に染み付いた「会社は信用できないもの」「会社は敵」という考えは、転職先まで持ち越される可能性もあります。そうなれば、社会全体における人材の損失ともなり得ます。
一度「問題社員化」してしまえば、周囲への影響は多大です。上司が対応に追われ、同僚もその業務フォローに追われれば、ミスが増えたり、機会損失につながったりもするでしょう。それによって正常な企業活動が妨げられれば、お客様からの信頼を失い、営業活動を困難にします。トラブルのリカバリーに時間を取られる職場では、上司の目も行き届かなくなりがちで、人材の育成に影響が出たり、モラルが低下し、不正が横行することも考えられます。さらに、長時間労働の常態化やギスギスした人間関係でストレスが増え、疲労や心身の不調を訴える人が増えれば、さらに生産性は下がるでしょう。病気休職や退職により、職場からの離脱者が増加すれば、人手不足に陥り、そこへ(安易な「ブラック企業」レッテル貼りが横行していることとあわせ)風評等による採用難が追い討ちをかければ、会社は「発展」とは逆の方向へ向けて転落していくことが目に見えています。
会社と従業員が対立してしまうこと。これほど大きなリスクがあるでしょうか。
では、どうしたら会社と従業員は、良好な関係であり続けられるでしょう。
従業員、つまりは「ヒト」の最大の特徴は、冒頭で述べたとおり、「感情」を持ち、自らの意志で自分の取る行動を決められることです。これからAIやロボットが人の仕事を肩代わりするようになれば、人はなおさら「ヒトらしい仕事」を求められるかもしれません。そうなれば、ますます従業員の「感情」や「気持ち」を含めたマネジメントが、重要度を増してくるのではないでしょうか。
採用選考の段階でも、経験や実績に、「感情」や「気持ち」をあわせて見る視点が必要です。生粋の「悪人」を排除するには、いかに採用時に見抜けるかにかかっています。そのためには、採用担当者や人事権のある人が、HR(ヒューマンリソース)リスクの視点を持ち、行動の裏にある「感情」や「気持ち」を丁寧に聴いていくことが重要です。また生粋の悪人ではなくても、自社や担当業務との「マッチング」の視点を忘れ、個人の好みや性格など、業務と関係の浅い面を重視して選考・採用してしまえば、入社後に「自分に合わない職場・仕事」を強いられ、高いストレスを抱える従業員を発生させることになります。接し方を間違えれば、「問題社員化」する可能性も否定できません。双方にとって幸せな採用をするためには、選考時点で「感情」「気持ち」へアプローチする工夫も行うべきです。
入社後にも、「感情」や「気持ち」への配慮は欠かせません。善良な従業員が「問題社員化」するきっかけのひとつは、「感情」に対するネガティブな刺激であることは、想像に難くないでしょう。問題社員を生み出さないためには、できないことを責める前に適切なアドバイスをする、怒鳴る前にまずは話を聴く、法令や36協定に違反するほどの長時間労働を是とせず、労働者の健康と生活を守る等、「当たり前」のことを「当たり前」に実行することが、結局は一番の対策です。昨年「ストレスチェック制度」にて、労働者に、自分のストレスに気付かせ、セルフケアを促すことが法制化されました。努力義務ではありますが、会社はストレスチェックの結果を分析し、職場環境を改善することも促されています。これは、職場のストレス源を放置せず、「当たり前」のことを「当たり前」にできるようにしなさい、という意味と捉えられます。
しかし、「当たり前」のことを「当たり前」に行うことは、非常に難しいのが現実です。労働時間に関して言えば、現行の法律さえ守れず、「かとく」(厚生労働省 過重労働撲滅特別対策班)による強制捜査や指導のニュースが世間を騒がせ、犠牲になった若い命に心を痛めた人も多いでしょう。一般的に社会的責任も大きく、高いコンプライアンス意識を求められる「大企業」であっても、「経営」を最優先し、労働基準法や36協定は「形式的にクリアしておけばよいもの」と扱われたのか、実態としては「長時間労働」が当たり前になっていたようです。
もともと日本では、「経営」と「産業保健」が協調することなく、別々のものとして考えられていました。メンタルヘルス対策では、健康には注目するものの、生産性との関係にはあまり注目されず、むしろ生産性の向上を促すことでかえって健康を損ねるのではないかという懸念さえあったほどです。しかし、労働時間が法律で規制されるのは、労働者が「人たるに値する生活」を確保するためであり、必須の条件です。マズローの欲求5段階説を思い出してください。「生理的欲求」や「安全欲求」が満たされないままで、より高度な欲求にたどり着くことはないはずです。生活もままならない状態で、「仕事で高い成果を上げよう」「労働生産性を上げよう」と思えるとは、到底考えられません。「経営」と従業員の「健康」は、同じ目的に向かっていなければならないのです。
ようやく、平成27年に厚生労働省が示したストレスチェックに関する指針(心理的な負担の程度を把握するための検査及び面接指導の実施並びに面接指導結果に基づき事業者が講ずべき措置に関する指針)では、ストレスチェック制度が「生産性の向上にもつながるものであること」として、「事業経営の一環として活用」するよう求められるようになりました。「健康経営」を意識する会社も増えています。
さらに昨今、産業保健の世界では、長時間労働やその他の職場ストレスを軽減するような、職場の生産性を「マイナス」にしないためのメンタルヘルスから、より多くの成果を出すための、「プラス」にするためのメンタルヘルスに目が向けられるようになってきました。ワーク・エンゲイジメントやジョブ・クラフティング等、労働者が「活き活きと働く」ためには何が必要か、会社はどのようにそう導いていくかが研究されています。何とかして従来通りの長時間労働ありきの働き方を続けるために、法の「抜け道」を探そうとするくらいならば、限られた時間の中で、いかに従業員に活き活きと働いてもらい、多くの成果を得るかを考えるべきです。従業員が活き活きと働く会社は、(前述したブラック企業のレッテルを貼られるケースとは逆に)人材の採用面でも優位に立てるでしょう。労働人口が減少する中、優秀な人材を確保できるということは、会社の競争力を強化する要因ともなります。
従来、ビジネスの世界では、「冷静であること」「論理的であること」が是とされ、「感情」を排除しようとするマネジメントが好まれてきたように思います。しかし、「感情」は、今のところ「ヒト」 だけが活用できる、一種の能力です。「感情」を持ち、自分の意志で動く「ヒト」という資源を、リスクとして捉え、かつ、その能力をうまく引き出すよう、マネジメントしていくこと。これをうまくできる会社こそが、これからの「勝ち組」となっていくのではないでしょうか。現実から目を背けず、たとえ一歩ずつでも、あるべき方向に向かうために、当社がお役に立てれば幸いです。