SPNの眼
防災・BCPについての論考も今回で最後となる。三回目の今回は、震災後のスタッフの健康管理について、考えていきたい。
企業や組織が防災対策やBCPの観点から考えておかなければいけない健康管理上の問題としては、大きく三つある。一つめは、BCPのインシデントのひとつとしてもあげられる感染症対策である。そして、二つめは、スタッフの睡眠不足などによる体調面や対応面への影響である。最後に、スタッフのメンタルへの影響、メンタルケアの問題である。これらの健康管理上の問題、特に二つめの睡眠不足の問題と三つめのメンタルケアの問題は、従来の企業の防災・BCP対策としてはあまり意識されていないのではないだろうか。
企業の防災・BCP対策は、往々にして、耐震強度の向上や、システムやインフラの冗長化など、ハード面の対策に目が行きがちである。また、BCP対応フローや対策本部の形など、わかりやすい部分に力点が置かれやすい。しかし、防災・BCP対策の現場実務の観点からは、特に二つ目、三つ目の問題は、極めて重要になってくる。そこで、今回は、上記三つの健康管理に関する問題について、留意事項を整理していくこととしたい。
まず、一つめは、感染症対策の問題である。防災・BCPに関する感染症対策といえば、たとえば、インフルエンザやパンデミックに関するBCPをいかに策定するかも重要であるが、特に災害発生後にも感染症対策が必要になることを忘れてはならない。
災害発生後は、ライフラインの損傷・停止により、空調の状況や衛生状態が悪化する。また、避難生活を余儀なくされるなど、慣れない環境での寝食となる場合も少なくない。さらに、非常食や備蓄食料などだけでは栄養面でも不足する上、自宅の被災や余震、変化する災害状況、避難所での集団生活などの中で、疲労やストレスが蓄積され、不安や悲しみから睡眠不足に陥り、免疫力も弱まる可能性が高まる状況に置かれる。冬場の災害では、寒い中で十分に暖を取れない状態も長時間続く。
このような中で避難所や社屋内で、誰かが風邪やインフルエンザなどの感染症に罹患すれば、感染は一気に拡大しかねない。震災後等は医療機関も被災により機能していなかったり、トリアージ等が行われ、感染症の治療は後回しになる可能性も高い。医療機器や薬などもかならずしも十分ではない。まさに、被災後は、感染症の被害拡大リスクが高いことを看過してはならない。ノロウイルスやカンピロバクター、大腸菌群による食中毒などの感染リスクもある。衛生状態が悪化する影響だけではなく、大量の瓦礫や汚水やそれに伴う清掃困難、汚物などによる空気の汚染、集団生活に起因する集団感染など、やはり感染症拡大のリスクは高い。十分な水分補給ができなかったり、脱水症状が続く中で、医療面でのケアや静養環境もよくなければ、命の危険もあるであろう。
災害後は、被災や安否不明により、ただでさえスタッフが少なくなるし、瓦礫撤去や各種メンテナンス、事業継続対応などに多くの人手がとられる。このような中で、感染症が拡大することは、かなりの痛手になる。しかし、上記の通り、感染症発生リスクは低くない。企業としては、少なくとも、被災後には感染症被害の拡大リスクが低くないことを防災・BCP対策の課題の一つとして、認識しておく必要がある。
次に、被災後の住環境の悪化や優先的な業務対応、人手不足、過度の緊張状態やストレスフルな環境、家族をなくした悲しみなどによる、睡眠不足が生じる可能性が高い。睡眠不足により、免疫力低下や健康面への影響が連鎖的に生じうる他、運動力や判断力、集中力などの低下も生じる。運動力や判断力、集中力が低下すれば、怪我や二次被災に遭ったり、業務対応や意思決定、経営判断に当たっても、重要な要素を見落としたり、判断を間違うなどの事態にも発展しかねない。かつて、「俺は寝ていないんだ」発言が危機を悪化させた事例もあったが、強いストレスや緊張状態の中で睡眠不足が続くと精神状態にも影響が及びかねない。
東日本大震災の際の福島原発放射性物質漏洩対応に当たった、故吉田所長も、連日の対策本部業務で十分な睡眠も取れておらず、重要な要素を見落としたり、正常な判断ができなかった可能性も指摘されている。
被災後は、上記のような状況の中で、長期間の睡眠不足が生じ、それが判断ミスや健康状態の悪化など、さらに深刻な事態を生みかねないリスクを認識しておく必要がある。筆者は対策本部のトレーニングなどの講評において、対策本部メンバーか寝ること、休むことの重要性を解説しているが、災害対応マニュアルやBCPの中にも、きちんと睡眠や休息についても表記、ルール化しておく必要がある。休まずに働き続けられるわけではないが、責任感が強い人や責任者である幹部は、災害後は、なんとか少しでも早く状況を打開しようと、不眠不休で頑張りすぎてしまう嫌いがある。重要な業務をやらなければいけないからこそ、また、重要な判断をしなければいけないからこそ、しっかりと睡眠や休息を取り、健康状態に十分留意して、頭をクリアにしておかなければならないことを忘れてはならない。
なお、睡眠に関して補足したい。BCPのでは対策本部のレイアウトなどが書かれているケースはあるが、休憩スペースや睡眠エリアについて書かれているのは、あまり見たことがない。執務スペースや対策本部内で仮眠をとるとなると、業務や対応が気になったりして、十分な睡眠が取れないし、イスや固い床での睡眠では熟睡できない。睡眠や休息の重要性を改めて認識し、対策本部だけではなく、休息スペースや睡眠スペースについても、あらかじめ準備、検討しておく必要がある。
東京都では帰宅困難者防止条例により、被災後も社屋に滞在、待機していることが求められており、そのために食料や水の備蓄も要請されている。食料や水は三日分の備蓄が要請されている。とすれば、被災後も最長でも三日間は社屋に滞在、待機することが前提となっている。したがって、睡眠や休息についても、防災・BCP対策として、検討されていなければならないとも考えられる。男性社員と女性社員が数日間社屋に滞在する前提で、男性と女性のフロア分けとあわせて、休息や睡眠スペースについても日ごろから議論、検討しておくことを改めて、強く提案したい。
最後に、メンタルケアの問題を取り上げたい。災害に関する研究では、実はかなり以前から震災後ストレスや被災者の救助に当たった消防隊等のメンタル不調が大きな課題として挙げられていた。震災等による惨状を見たことによるショックや家族や親族、同僚等を亡くした悲しみや断続的に続く余震等への不安、避難生活等を余儀なくされることによるストレスや自由に動けないことへの苛立ち、不便な生活や過酷な業務を強いられることへのストレスなどから、災害発生後には、消防隊でなくても、一般人も精神的にかなり辛い状況に追い込まれる。ただでさえ被災後の人手不足の中で、動けるスタッフがメンタル不調等を発症してしまうと、メンタル不調は往々にしてその後も長期間影響がでるため、企業の事業継続対応や事業活動にモ大きな影響を及ぼしかねない。
例えば、「大震災後のメンタルヘルスと心のケア」(黒木俊秀・「教育と医学」(2011.5))では、次のような整理がされている。
数時間から数日で急性ストレス反応が見られてくるということである。
また、「災害時「こころのケア」の手引き」(東京都福祉保健局)においても、災害ストレスとストレス障害に関して、次のような記述がある。
実際に、熊本地震の際も、職員のメンタル不調の問題が顕在化した。西日本新聞2017年5月15日から抜粋すると、「熊本地震の対応に従事した熊本県職員の約4割が「震災後、心身の不調があった」と訴えていたことが、県の調査で分かった。災害対応に追われ業務量が激増したことや、休日や休養が取れない状態が続いたことなどが原因とみられる。」「調査は昨年9月に実施。回答者3632人のうち、37・8%の1373人が心身の不調を訴えた。このうち、不調が最初に表れた時期を「震災後1カ月以内」と答えた職員が8割以上を占めた。」とのことである。
このように、震災後はスタッフのメンタル不調の問題が深刻化しかねない。そして、既に述べたように、災害対策本部に詰める役員や経営幹部、現場スタッフも、過度な緊張感や緊迫する状況の中で、不眠不休で対応を続けてしまう場合も少なくない。特に被災後数日は、無理をしがちである。このような状況の中で休みや睡眠をとらなければ、正常な判断力を失ってしまうばかりではなく、災害の悲惨な状況も相まって、精神疾患をも招きかねない。この点を企業としても十分に認識しておく必要がある。
企業としては、ストレスチェック等で社員のメンタル管理の体制を一定程度整備しているものと思われるが、BCPの中で、事業復旧・継続の過程における重要な課題として、従業員等のメンタルケア、メンタル不調への対応についても、その対策等を明記しておく必要がある。災害後の混乱状況下では十分な対応をできない可能性もあることから、災害後のメンタルケアについてもあらかじめ検討・準備しておくことが重要となる。
以上、3回に分けて、BCP強化に向けた考察をしてきた。取り組むべき課題は多くあると思うが、災害はいつ起こるかわからない。できることから、徐々に対策されることをお勧めしたい。