SPNの眼
事件発覚後の経緯
一時の狂想的な報道の洪水状態は脱したものの日大アメフト部危険タックル問題に端を発した「日大問題」は未だに燻り続けている。この問題が投げ掛けたものは、日本の深奥にまで及んでいる。つまり、その”投げ掛け”とは、日本社会および日本人全体への問い掛けでもある。日大に底知れぬ闇や暗部があるのなら、それは同時に日本が抱える、それでもある。本件に関しては、多くのメディアで大量に報道されてきたので詳細は省くが、ざっと経緯だけ見ておこう。
(5月6日)
日大-関学大の試合で、日大選手がプレー終了後に関学大のQBをタックルし負傷させる。
※夜からネットで一気に拡散。
(5月7日)
関学大QB選手が全治3週間と診断される。
(5月10日)
- 関東学生連盟は日大選手に対外試合の禁止処分を発表。内田監督には厳重注意。関学大アメフト部は、日大アメフト部に抗議文を送付。
- 日大はアメフト部公式ウェブサイトに「本学選手による試合中の重大な反則行為について」と題する謝罪文を掲載。
(5月12日)
関学大の鳥内監督、小野ディレクターが会見。「あってはならないこと」、「謝罪や真相究明を望む」。
(5月14日)
鈴木大地スポーツ庁長官、「容認できない」と発言。
(5月15日)
日大が関学大に抗議文に対する回答を送付。
(5月16日)
日大広報は反則タックルが内田監督の指示とする報道に対し「それはあり得ない」と否定。
(5月17日)
関学大、二度目の会見。小野ディレクターが負傷した選手とその家族に「日大の責任ある立場の方」からの謝罪の申し入れがないことに遺憾の意。日大回答文にはファウルに至った経緯の記載がなく、24日までの再回答を要請。
(5月19日)※試合からほぼ二週間経過。
日大の内田正人監督が関学大の負傷選手と保護者に謝罪。その後、伊丹空港で報道陣に対して監督辞任を表明。
(5月21日)
関学大選手の父親が会見、被害届を出したことを言明。
(5月22日)
「監督・コーチが指示」~日大選手が会見で謝罪。また、11日には、指示があったことを公表するよう日大側に求めたが、拒否されたとした。18日には被害選手と両親らに面会、謝罪したが、日大の対応の遅さを理由に自ら記者会見を開くことを決めたという。
(5月23日)
危険タックル指示を否定~内田前監督と井上前コーチが会見。
(5月24日)
- 日大教職員組合支部「日大の信用は地に落ちるばかり」抜本的改革を求める声明。
- 週刊文春発売、内田前監督の試合後の自供テープ掲載。
(5月25日)
- 日大、大塚学長が記者会見。「失墜した信頼を回復すべく、これから真摯に取り組んで参りたい」と述べ、問題をめぐる一連の大学側の対応について謝罪。
- また、大学公式HPに「日本大学学長から学生・生徒及び保護者のみなさまへ」と「日本大学学長からお詫びとお願い」を掲載。
(5月26日)
関学大、三度目の会見。日大からの再回答書について「内容には多くの矛盾が存在し、真実とは到底認識できない」とし、日大との定期戦を当面、中止することを発表。
(5月27日)
タックル受けた関学大選手が復帰、「また勝負を」と日大選手の復帰望む。
(5月28日)
日大HPに「本学の『球場看板』掲出自粛について」と「本学の『読売巨人軍オフィシャルスポンサー』契約解除について」を掲載。
(5月29日)
- 関東学生アメリカンフットボール連盟は、日大の内田正人前監督と井上奨前コーチを、最も重い除名処分とすることを決定。タックルをした選手及び日大に対しては、今年度のシーズン終了まで公式試合の出場資格停止処分。
- それを受けて、日大は公式HPに「関東学生アメリカンフットボール連盟の裁定を受けて」、「日本大学学長から採用ご担当者の皆さまへ(お願い)」、「就職活動中の学生の皆さまへ」の3本の文書を掲載。
- 日大アメフト部選手一同が父母会の代理人を通じて声明文を発表し謝罪。
(5月30日)
- 「日本大学の今後に向けて」をHP掲載。
- 内田前監督、常務理事および理事の辞任届けを提出。
(6月1日)
「第三者委員会の設置について」をHP掲載。
(6月3日)
関東学生アメリカンフットボール連盟、規律委員会調査報告「日本大学の選手による重大な反則行為について」公表
(6月19日)
日大、アメフト部新監督・新コーチ公募
(6月29日)
日大第三者委員会、中間報告発表
上記に見るように事件発覚から5月末までは、新聞・テレビ・雑誌・ネット全てのメディアを巻き込んだ報道が連日のように続いた。6月に入ってから、その数は大分減ってきたが、引き続き、節目節目で断続的に取り上げられている。それは国民全てがこの問題のもやもや感を払拭できないからであり、日大は過去の多くの問題を並べ立てられるとともに外堀を埋められつつある。
広報対応失敗の必然
事件発覚後ほぼ一ヶ月間近くも連日のように報道されたのは、日大側の対応の遅さと拙さに起因していることは言うまでもない。あらゆる分野の専門家がそれぞれの立場から日大の対応を批判したのは記憶に新しい。この経緯のなかで特にポイントとなるのが、宮川選手の会見(5月22日)、内田前監督と井上前コーチの会見(5月23日)、そして、日大大塚学長の記者会見(5月25日)の3つの会見である。
危機管理の常道から言えば、日大側はできるだけ早いタイミングで被害選手と関学大側に謝罪し、自らの非と責任を認めるべきであった。そうすれば、ここまで問題が拡大することはなかったかもしれない。ところが、である。日大にはそのような対応を発想することすらできない体質と事情があったことを指摘せざるを得ない。宮川選手の会見には、その真摯な姿勢から同情と共感、さらには賞賛の声まで上がった。一方、内田前監督と井上前コーチの会見は司会者の不手際も手伝って、非難轟々の嵐となった。その後の大塚学長の会見は一体何のためにやったのかと首を傾げざるを得ない内容であった。
この中でも最大のヤマ場となったのが、内田前監督らの会見であることは論を俟たないだろう。この会見後、「前代未聞の記者会見」、「危機管理が全くできていない」との批判が集中した。筆者も中日新聞の取材に対し、同様のコメントを寄せた。この会見に限って言えば、確かにその通りなのだが、冒頭に記したように、日大問題(日大アメフト問題としての捉え方すら矮小化されてしまう)はより大きな闇を抱えている。リスクが幾層にも重なり合った構造を呈しているのである。その中の要素の一つが会見含めた、「広報(メディア)対応」であり、二つ目が「危機管理の在り方の問題」である。
まずは広報対応から見ていこう。前日の宮川選手の会見自体が「日大の対応の遅さを理由」として決断し、自ら顔も実名も出して被害選手に謝罪したいとの思いから開催された。大学側主体でも主催でもないので、メディア側が配慮、同席した弁護士とも相談して、日本記者クラブという大舞台が用意された。しかしながら、翌日その内容を否定するように、大学側主催の内田氏らの会見が開かれたわけだ。
今回の広報対応は危機管理広報の範疇に入るもので、本来であれば、遅きに失したとはいえ、大学側が率先して会見を開き、関学大と被害選手に謝罪すると同時に、宮川選手を守らなくてはならない。この時点での出席者は内田前監督と井上前コーチで良いだろう。
ただ、これによって出席記者や国民が納得する会見内容にすることができたかといえば、それは別の話にはなる。仮に早いタイミングで開かれたとしても、その前の囲み取材(ピンクネクタイ時)の回答内容の域を出ず、結局、実際に行われたものと同様、大方の納得が得られる内容とは正反対の方針の下、質疑応答がなされたであろう。何故なら、その方針が日大の「危機管理」だからである。ただ、企業の不祥事におけるお詫び会見でも完全に納得が得られるケースは、実は少ないのである。
そのため結局、二回目の会見が開かれるケースがほとんどである。今回の日大のケースで言えば、二回目は田中理事長と大塚学長が出席するのが筋だろう。この段階で大きな、あるいは不退転の覚悟の下、悪質プレーの原因と各関係者の責任・処分が明確に打ち出され、辞意も表明されれば、再発防止の道も開け、一応の決着を見ることもできる。
しかしながら、多くの場合、この段階でも原因や責任がはっきりせず、三回目の記者会見に持ち越されることになる。この時点での主役は第三者委員会になる。ただ第三者委も独立性が担保されていないと、うやむやの状態が続き、真相は明らかにされず、組織の闇や膿、あるいはタブーは残されたままになる。実はこれが、企業不祥事が繰り返される背景の大半を占めているといって過言ではない。この段階になると、関係者は幾つか(全部ではない)の役職を辞し、入院していることが多い(刑事事件として立件される場合は事情が異なってくる)。院政を目論んでいるケースも珍しくない。
話を内田前監督と井上前コーチの会見に戻すと、ここだけを切り取って、「ああすべきであった」、「こうすべきであった」と事後的に解釈・指摘しても詮無いことなのである。また、同様に「危機管理広報や緊急記者会見はこうあるべきだ」と言ったところで、日大側に”そうあるべきだ”との価値観が具有されていないのだから意味をなさないことを理解しなければならない。司会者の対応も日大の”価値観”に沿ったものであると考えれば、妙に納得できてしまうのである。
危機管理失敗の必然
さてそれでも一応、5月23日の会見を広報と危機管理の交差点である危機管理広報の観点から検証してみよう。まず、5月23日午後8時から開始予定の記者会見は3分程早く始まった。まだテレビ各局のカメラや照明などのセッティングが十分なされていないタイミングであった。この点一つとっても、すでに広報のグリップの不備が露呈している。
会見内容は関学大QBを「潰せ」との指示を内田氏はしておらず、また井上氏はそのようなことは言ったが、「怪我をさせろ」という意味ではない、「(宮川選手が)そのように受け取るとは思わなかった」というロジックを一貫して展開した。
要は、監督は指示していない
↓
コーチもそのような意味での指示はしていない
↓
一方、選手は文字通り受け取ってしまった
という図式が見て取れる。そうなると、世間の賞賛を浴びた宮川選手の非を一方的にあげつらうことに説得力は持ち得なくなる。そこで内田前監督に責任が及ばない範囲で自らの責任の一部を認めるしか井上氏には選択肢がなくなったわけだ(彼個人としての外堀を埋められたのだ)。おそらく事前にそのようなストーリーが描かれて了承させられたに違いない。
謝罪会見に付きもののポジションペーパーやQ&A等の資料も持たずに会見に臨んだのは、そのストーリーから逸脱しないことだけを死守すれば良いとの判断からではなかったか。それでも井上前コーチの回答は徐々にニュアンスを変えていった(目も泳いでいた)ので、あの後、井上氏に集中的に質問を投げ掛けていれば、違った展開になったかもしれない。
その意味では、司会者の分を弁えない言動・暴走はまさに前述した日大の「危機管理」に則ったものだったのだ。彼が元共同通信記者で要職を経験したという履歴は最早関係なく、今は紛れもない”日大マン”になったということなのだろう(現役時代には随分酷い会見にも出席していたと思われるのだが)。
ただ、この会見の現場では同じような質問が繰り返されたことは事実であり、記者側の質問力が問われていることも見過ごせない。特に、民放のテレビ各局が番組ごとに取材チームを組んでいながら、独自色は全く出せていないことは改善されるべきだろう。ただ自分たちの番組のリポーターや局アナが質問しているところの画がほしくて、同様の質問を繰り返すのは、確かに時間の無駄だからだ(それでも司会者は、全く同一の質問でない限り、最後の質問まで受けるべきであるが)。各メディアは、今後このような重要な会見に中堅やベテラン記者を送ることも考慮すべきではないか。また当該広報顧問が数年後、日大を辞して本件に関してコメントする機会があったら何と言うのか、非常に興味のあるところである。
この会見でもう一つ異様だったのは、会見終了後の光景だった。内田・井上両氏とも起立してお辞儀した後、内田氏にはすぐ日大のスタッフが付き添って退席していった。一方、井上氏はそのあとに続かずに、しばらく会見席で呆然と立ち竦んでいた。井上氏にはスタッフも付かなかった。これは一体何を意味するのか。長い上司・部下関係だけでなく、”荒れた会見”の矢面に立って、一応形だけでも終了させた同志ではなかったのか。
この有無を云わせぬ上下関係を象徴する場面は、その場に置き去りにされた”トカゲの尻尾”の悲哀を十分過ぎる程見せ付けた。彼は何を言い残し、何を訴えたかったのだろうか。
そして問題の本質は、この内田-井上間、あるいは、井上-宮川間の鉄の”上下関係”が日大という巨大組織全体にあってはごく一部でしかないという構図である。
5月25日の大塚学長の会見に至っては、田中理事長の代理の意味合いを持たせようとしたのだろうが(司会者も代えた)、誰の代理にもなっておらず、学長としてのオリジナリティも何も出せずに終わった。週刊文春によって暴露された問題の試合直後の囲みインタビューで内田氏は「あのくらいしないと関学大には勝てないでしょう」、「法律的には良くないのかもしれないけど」、「宮川は良くやったと思うよ」、「全て内田が悪いでいいでしょう」などの驚くべき発言をしている。その後、日大側は「これらの発言は全て撤回する」としたわけだが、日大側の二つの会見で、記者側はこの点についてもっと執拗に糺すべきだった。”撤回”の理由について、納得できる回答が得られないにせよ、踏み込み不足は否めない。囲み取材の相手はスポーツ紙等の番記者だったのかは分からないが、内田氏の回答に笑い声が録音されていたことも驚愕に値する。
因みに、会見とは直接関係ないが、当該の試合で宮川選手は3つのファールを犯している。筆者はアメフトに精通していないが、1つ目の危険タックルの後、関学大は何故もっと猛烈に抗議しなかったのか、また審判も一発退場というような毅然たる対応ができなかったものなのか釈然としない部分もある。
スポーツ・コンプライアンスからの背理
日大問題は大きな闇を抱え、リスクが幾層にも重なり合った構造を呈している。そのうちの2つの層が「広報(メディア)対応」と「危機管理の在り方」であることを論じてきた。
この”幾層”は非常に複雑な相を形成しており、まだ別の2つの層があり、全部で4つの層で構成されている。これらは完全に分断されているわけではなく、4層がグラデーションを形成し影響し合っているのだ。それはリスクの入れ子(マトリョーシカ)構造とも言えるものである。
残りの二層とは、「スポーツ・コンプライアンス」と「大学ガバナンス」の問題である。
スポーツ・コンプライアンスについては、選手の私生活まで視野に入れれば、その概念や対象範囲は相当広範に及ぶ。ここで問題とすべきは、各スポーツ競技におけるフェアプレー精神と選手の指導・育成方法についてである。どのような競技であれ、必ず守るべきルールがある。一方、反則に関わる取り決めもある。反則に関しては、一定の許容範囲というものも設定されていることが多い。しかし、それ以上は越えてはいけないという一線があるとの了解の下、各種の対戦が繰り広げられている。つまり、勝負事である限りは、勝利が求められるのであるが、それはあくまでもフェアプレーとスポーツマンシップに則って行うべきものとの大前提がある。
フェアプレー精神といえば、1984年のロサンゼルス・オリンピックでの柔道無差別級決勝を思い起こされる方も多いだろう。エジプトのラシュワン選手が日本の山下泰裕選手が負傷したと右足を攻めなかった試合である。この話は若干尾ひれが付いているとの指摘もあるようだが、結果的には今でも美談として語り続けられており、今回の危険タックルとは対極をなすものと言って良い。大相撲で言えば、横綱が前頭相手に立ち合いで変化を見せることが非難されるのも同様の理由だ(この場合のスポーツマンシップは”横綱の品格”として語られることが多い)。
ただ実際には、球技などの団体競技においては審判の眼の届かないところで、”小競り合い”やルールぎりぎりの”ラフプレー”などがなされることは、日常茶飯事とも言えるのだが、これも余程悪質なものでない限り許容範囲と看做されている。不慮の事故などによる怪我が多い格闘技以外で、当初より意図的に相手に怪我をさせる目的を持った反則プレーは前代未聞であるだけでなく、指導者がそれを指示していたとなればことはより重大である。
そこまでして勝たなければならないのかということになる。まさに行き過ぎた”勝利至上主義”である。この点について、プロとアマの違いを指摘したとしても、今やプロであっても、いやプロであるからこそ、同じ競技人としてリスペクトし合い、よもや対戦相手の生活の糧を脅かし、その家族を不幸な目に陥れるなどということは決してしないという。それが一流のアスリートであるとの理解が一般的になっている。
それならば、アマチュアスポーツ、ましてや学生スポーツのスタンスは何であろうか。それぞれの競技スキルの向上は、人間形成などの教育理念の下に実施されるべきものであり、勝つために手段を問わないという姿勢は、スポーツそのものを冒涜するものだ。
この”勝利至上主義”とセットになっている、もう一つの日大アメフト部の悪習が旧態依然たる悪しき日本の運動部文化である。さらに遡れば、旧日本軍文化と言っても良い。その閉鎖性と強権体質・強固な上下関係の中では、絶対服従が強制される。誰も逆らえない支配構造が成立してしまうのである。事実、内田前監督は全日本級の実力を持つ宮川選手を試合から外したり、練習にも参加させないなど非科学的な指導を実践していた。そして、「まだまだ”イジメる”」と公言し、相手のQBを”潰す”ことを条件に試合に出場させたのだ。
旧来の運動部文化には暴力沙汰も切り離せない。昨年日大アメフト部の部員約20名がいっせいに退部したのも一部コーチの暴力によるものと言われている。また、内田前監督は同大陸上部の助監督への暴行も取り沙汰されており、今回の関学大の問題含めて、いつ刑事事件化されてもおかしくないのである。当該プレーに関して、被害選手の父親は警察に告訴状を提出し受理された。傷害罪として立件されれば、宮川選手は実行犯ということになる。内田氏と井上氏は、その教唆か共同正犯として認定されるかどうかがカギとなる。
アマチュアスポーツの反則行為の刑事事件化など世界的にも類を見ないだろう。父親が告訴状とともに提出した宮川選手の減刑を求める嘆願書の効力に、せめて期待したいところである。
今回の騒動では、日大に「危機管理学部」があることが揶揄されているが、同時に「スポーツ科学部」も設立されている。これまでの日本的運動部文化の中では、強くなる・上手くなるためには、ある程度のシゴキは容認されてきた面は否めない。残念ながら、似たような事件が今なお、全国各地で他の競技も含めて報告されている。しかし、最早そういう時代ではないというのが衆目の一致するところである。”スポーツ科学”、あるいは、”科学的なスポーツマネジメント”においては、旧来型の指導者は最早不要であろう。新しい時代に相応しい指導者の養成・教育が急がれるところである。
今回の問題を受けて、文科省やスポーツ庁など国の機関が口出しすることに異議を唱える向きもあるが、2020年東京オリンピック・パラリンピックを控え、このような問題が海外発信されることは、日本の後進性が露呈されるようなものであり、極論すれば国辱ともいえる。スポーツ科学の振興と旧来の運動部文化脱却に国は率先して取り組むべきである。これは「大学の自治」とは異なる議論である。
また、これはスポーツ・コンプライアンスの範疇とは別の議論になるが、人口減と少子化が同時進行する中で、大学は乱立していると言われる。その中で強い運動部の存在に大学は過度に依存している。学生集めの手段とブランド化のためには何をやってもいいということにはならない。それが、”勝利至上主義”を呼び込んでいるのなら、大学スポーツが”広告塔”になり過ぎるのも大きな問題である。大学スポーツが過度にブランディングに依存させられている現状は、アマチュアスポーツであるからこそ尚更、危惧される現象と言える。
広告には莫大なマネーが動き、腐敗と権力の温床になりやすい。これは日大だけの問題ではなく、他大学の運動部にも共通する問題であり、相当の留意が必要である。
かつて、本場米国の大学アメフトチームに優勝請負人といわれるコーチが就任したが、彼の年棒は8億円だったという。無理な計画の進行は、やがて目的達成のために”カネまみれ”を呼び込むことになる。本格的な少子化社会を迎える中で、大学のブランディング戦略を考えるのもいいが、その前に本来の学問の府たる”大学の在り方”を再考することの方が優先されるべきではないだろうか。
大学ガバナンスの不全
さて、日大リスクの4層構造の最後は、日大の闇とも云われる大学ガバナンスである。実はこれがリスク構造の最上位に君臨している。大学ガバナンスの問題を考えたとき、国公立と私学の違いにも考慮しなければならないが、企業(コーポレート)ガバナンスに倣えば、それは健全かつ正常な統治形態に他ならない。古くは経営(組織)体の所有と経営の分離であり、近年では経営の監督と執行の分離である。また、そのために独立した監査システムの導入や意思決定の透明性が求められ、模索されている。それらを推進する役割や機能として多様な役職や部門が提起されてきた。
大学において、それらを担うのは、理事会(理事長)、事務局、評議会、学長、監事、教授会等々であろう。理事会は経営、学長は教学を統括するものとされているが、ガバナンスを考えた場合の両者の独立性や牽制性は各大学とも決して明確ではないのが実情である。
さらに大学の運動部の運営主体もその必要予算の調達ルートと配分方法、またその”広告塔”としての期待実績の問題もあり、各大まちまちで不明確なところが多い。
しかし日大の場合、田中理事長に権限と権力が集中し、独裁体制のようになっていたという。そのため、”子飼い”と云われた内田監督が常務理事や人事部長、株式会社日大事業部の取締役などを兼任し田中体制は盤石なものとなり、権限の分散や相互牽制機能は全く働いていなかったといって良い(内田氏以外の取り巻きにも権力が集中している)。これでは異論を唱えるものなどいようがない。皆、田中理事長の意向には逆らえないようになっているのだ。
暴力体質と不正の温床の経緯
今回のアメフト問題の底流にある日大の暴力的体質の源流は1960年代の日大闘争にあると指摘する識者は多い。当時、大学当局がヤクザや右翼学生・体育会系学生を金で雇い左翼学生を鎮圧したことは多くの証言もあり、有名な話となっている。また、総長選や理事長選では現ナマが飛び交い、対立候補に対する暴力的な脅し、怪文書攻撃なども繰り返されてきたこともすでに多くのメディアで報道されている。
そうした中、日大相撲部出身の田中氏は1969年に日大を卒業し、体育会枠の職員となり、スポーツ部を束ねる保健体育審議会(後に局長)を足場に、日大相撲部監督、常任理事、2008年に理事長に上り詰めた。日大の暴力体質と金権体質は田中氏以前から始まっていたようだが、田中氏は自らの権力集中の過程で、それを完成形にしたと云われている。この田中氏の権力掌握過程を見れば、危機管理やガバナンス、あるいはコンプライアンスといったものと如何に不整合な状況にあったかが知れる。
田中氏自身は、過去に何度となく暴力団との交際疑惑が報道されており、それを蒸し返されることを一番恐れていると言われている。 特に指定暴力団住吉会の福田晴瞭会長(当時)や山口組6代目の司忍組長との親密ツーショット写真はあまりにも有名であり、海外メディアで報道されている。また国会でも取上げられた経緯がある。田中氏は今でも合成写真だと強弁しているが、未だ具体的な説明責任は果たされていない。
実はこの写真は海外メディアだけでなく、複数の日本のメディアにも送りつけられていたという。ところが、同時期に、日大の田中理事長の批判報道を行っていた右翼系情報紙Kの社員2名が金属バットで襲撃されるという事件が起きた。その直後にマスコミ各社に「同じ目にあいたいか」との脅迫電話が掛かってきたという。真偽の程は定かではないが、主要マスコミの及び腰は想像に難くない。
その他にも、日大の工事を受注した建設会社から、キックバックを受け取った問題、私学助成金の使途問題、生物資源科学部獣医学科の学生2人のアカハラが起因とされる自殺、法学部教授が暴力団から2000万円の借金をしていた問題、内田氏の陸上部助監督への暴行、直近では非常勤講師の雇い止め問題等々、中には刑事事件化も含め、明らかにされるべきあまりにも多くの問題を抱えている。事実、国税や警察がすでに動いているとの報道もなされている。どの大学においてもそれぞれ問題は抱えているだろうが、ここまで多いのは日大だけではないだろうか。
また、田中氏の”子飼い”は内田氏だけではなく、それらへの権力集中が実名とともにすでに多く報道されている。夫人が経営する”ちゃんこや談議”はつとに有名である。
まさかここが最高意思決定機関などであれば冗談にもならないが、これでガバナンスが機能すると考える方がおかしい。今回のアメフト問題はこのような日大の体質からして、起こるべくして起こったとも言えるのである。
特に暴力団との親密な関係は、2010年に全国施行された暴力団排除条例や近年のコンプライアンス重視の社会風潮から鑑みて非常に理解に苦しむものである。また、暴力団との親密交際等が国会で取上げられたときの文科省の対応も中途半端なものであった。それを可能ならしめているのが、今回各所から揶揄されている同大の「危機管理学部」である。実はこの学部は、全てではないと思われるが、警察関係者・OBの再就職先の受け皿といわれ、政治家も含めた田中理事長の警察人脈が大いに活用されているとの報道が複数なされている。日大の深い闇が徐々に明らかになるにつれて、文科省(高等教育局)と暴排条例を積極推進した警察庁の本気度合いが、改めて、そして極めて厳しく問われていると言っても過言ではないだろう。
今後の展開
当初、その役割が不十分なものに終わると見られていた第三者委員会も予想以上の中間報告を出してきた。7月下旬に予定されている最終調査報告では、より一層詳細な事実が明らかにされるのか、それとも尻すぼみに終わるのか予断は許さない。ただ、最終報告書ではガバナンスの問題にも触れざるを得ないと思われ、またその結果は関東アメフト連盟の検証委員会のチェックも経る。さらに、これまで日大問題を徹底的に追及してきたFACTAをはじめ、週刊文春や週刊朝日なども追求の手を緩めないだろう。新聞社をはじめとした既存メディアにも”調査報道”の雄としての面目を保ってもらいたいものである。
それらの結果によって、田中理事長が会見に出てくるのではないかとの憶測もあるが、どうなるだろうか。会見に出ずに幕引きを図ることは果たしてできるだろうか。
仮に記者会見に田中氏が出てくれば、質問内容はリスク構造4層全てに及ぶ。暴力団との関係や資金の流れ等についても追及されるだろう。そうなると、記者会見は何時間に及ぶのだろうか。問題別に二回に分けて開催することになるのか。いずれにしても現実的には考えにくいところではある。そうなると、各委員会の調査、当局の捜査に俟つところとなるが、そこで全て無罪・冤罪となれば、会見を開くのであろうか。ここまで問題が大きくなった以上、どのような展開であれ、最低限の声明・コメントは出さざるを得ないはずである。
内田氏とて同様である。なぜ、あの試合においてであったのか。それ以前の試合では、そのような様子は見られなかったのか、そこまでして勝つ本当の理由は何だったのか、等々も明らかにされる必要がある。それと関連して、試合後「私がやらせたでいい」と言い、第三者委の中間報告では、日大関係者が「監督からの指示があったとなれば、バッシングを受ける」との認識は持ち、結局「指示していないことにした」わけだが、そこまでして事実の隠蔽意図を持ちながら、何故、危険タックルを指示することを決めたのか、それらの意思決定の背景に日大のガバナンスの実態がどのような影響を与えたのか、これらも同様に明らかにされなければなるまい。
アメフト危険タックル問題に端を発した今回の問題で、20歳の純朴な青年の判断を狂わせ、追い詰めたのは、日大の「広報(メディア)対応」単独ではなく、また「危機管理の在り方」だけでもないことが分かった。実はその二つに「スポーツ・コンプライアンスの欠如」と「大学ガバナンスの機能不全」が加わっていたのである。それは4層構造のリスク複合体がもたらした不幸であった。特に最上位のガバナンスに問題がある以上、「記者会見がなっていない」、「危機管理もなっていない」のは当然の帰結である。因みに企業のようにマルチステークホルダーを対象としたガバナンスを構築するのであれば、学生やその父母、ならびにOBを除外することはあり得ないだろう。
かの司会者は「(日大ブランドは)落ちません」と断言した。しかしながら、同大のブランドは最早地に落ちたことは誰の目にも明らかであろう。ただ、それを落としたのは誰か。もちろん学生ではない。あらゆる疑惑を払拭することができないのであれば、またそのための説明責任も果たさない(果たせない)のであれば、最早、日大上層部の総入れ替えは不可避ではないだろうか。それなしには、根本的な問題解決と最高学府としての再生は極めて難しい。
企業の危機管理は、最終的には経営理念に再帰する。同様に大学の危機管理は建学・創立理念に再帰するものである。いずれも、権力者の保身や権益を守るためにあるのではない。
後者の場合は、危機管理発動時点でその組織はすでにグレーかブラックに染められているのだ。したがって、危機管理は本来の機能を果たすことなく、むしろ都合よく誤用・悪用されてしまうのである。権限・権力の一極集中とは、当該組織の私物化であり、危機管理は悪用されるか誤用され、無力化されやすい。また全うな危機管理が運用されなければ、ブランド構築など叶うはずもないのである。
ハンナ・アレントの論を借りれば、ナチスが”凡庸な悪”を生んだように、スポーツ強権指導ファシズム(スポーツ団体)と業績達成圧力ファシズム(企業)は”従順な悪”を再生産してしまう。企業不祥事にも良く見られるデジャブな光景だ(異論の言えない”空気”の支配)。宮川選手はまさにその犠牲者だ。あるいは井上氏もその一人かもしれない。それ故、日大問題は日本社会と日本企業を含めた日本問題でもあるのだ。