SPNの眼

企業・組織が今すぐすべき最低限のBCP・危機管理/東日本大震災の2つの判決を振り返る

2019.04.02
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 東日本大震災から早くも8年が経過した。警察庁によると、2019年3月8日時点の死者は関連死を含め1万5895人、重軽傷者は6157人。警察に届出があった行方不明者は2533人で、復興庁によると、未だに約5万2000人が全国で避難生活を送っているという。

 2011年3月11日金曜日の14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖およそ130kmを震源としたM(マグニチュード)9.0の地震は、発生時では日本周辺における観測史上最大規模のものであった。最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7で、宮城・福島・茨城・栃木の4県36市町村で震度6強を観測した。

 この地震により、最大遡上高40.1mにのぼる巨大な津波が発生。東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害が発生した。津波による死者は全ての犠牲者の9割に上る1万4308人。最新の研究ではヘドロや大量の土砂を巻き込んだ「黒い津波」は通常の水よりも強烈な破壊力を持ち、人体に入れば即座に命に関わる危険をはらんでいるという。

 もちろん、災害は過去の話だけではない。政府の地震調査委員会によると、関東から九州までの広範囲で被害が予想される「南海トラフ巨大地震」が今後30年以内に発生する確率は70%~80%。今この瞬間に、これまで体験したことのないような大地震が日本中のどこで発生しても、全くおかしくない数字だ。未曾有の災害に対し、企業は何をどのように備えるべきなのか。その大本となる考え方を、今回は東日本大震災に起因する2つの判決をもとに考えていきたい。「備えていたことしか、役には立たなかった。備えていただけでは、十分ではなかった」(「東日本大震災の実体験に基づく災害初動期指揮心得」/国土交通省 東北地方整備局著)。東日本大震災後、多くのBCP担当者が教訓としたこの言葉も、時代とともに知る人が減ってきているという。もう一度、本件を教訓としながら自らに問い直したいと考えている。

 実はこの判決について、これまで何度か記事を書いたことがある。しかし何度書いても気が重いことに変わりはない。なぜなら、両方とも大量の人命が失われているからだ。にもかかわらず、2つの判決は大きく違うものとなった。何が判決の明暗を分けたのか。結果から言うと、「BCPを適切に策定し、それを守って管理職や従業員が適切に行動したかどうか」が裁判の行方を大きく左右するものとなった。もちろん「だから絶対にマニュアルどおりに動かなければいけない」等というつもりもない。マニュアル自体の合理性も、常に問われなければいけないからだ。

 2つの判決を見比べる前に、犠牲となられた方々のご冥福をもう一度お祈りするとともに、被災地の一日も早い復興・復旧を祈念致します。

七十七銀行女川支店、日和幼稚園判決の概要

 東日本大震災発生時、宮城県牡鹿郡女川町では女川漁港の消防庁舎で海抜14.8mの津波を記録。津波で3階建ての同町庁舎も冠水したが、町長以下職員は間一髪屋上に避難して無事だった。女川原子力発電所は幸い高台にあったため、こちらも辛うじて津波の直撃を逃れたものの、発電所を管理する防災対策センターなどは2階建ての建物だったため屋上まで冠水。職員の多くが行方不明となり、一時国や県に報告ができない状態に陥った。さまざまなシチュエーションの中、同町のいたるところで、ほんの一瞬の判断で命が助かったり亡くなったりした状況だったといえる。(蛇足だが、福島原発と女川原発では、その建設された場所で大きく被害状況が変わった。実は女川原発も当所は海辺の建設を予定していたが、過去の津波被害を知る住民らが大反対し、高台に建設させたという経緯があったという。これも「伝承」の大切さを物語る重要なエピソードの1つだ)

 女川湾からおよそ100mの場所に位置していた七十七銀行女川支店では、あらかじめ策定してあった防災計画どおり、従業員らは支店屋上に避難した。当時の支店長や従業員らの行動はメール等から明らかになっており、判決文で詳細に残っている。支店長は発災時には取引先を訪問していた。地震を感じて支店に戻る途中で海が引き潮になっていることや大津波警報が発令されていることを知り、同支店に帰社。片付けは最小限にして屋上に逃げるように行員に指示するなど、非常に落ち着いた、かつ合理的な指示を発している。それでも結果として、まさに想定外と言える20m程度の津波が同行を襲い、屋上に避難した行員13人のうち、12人が津波に飲み込まれて死亡するという大惨事となってしまった。翌年、従業員3人の遺族が同行に対し、安全配慮義を怠ったとして2億円以上の損害賠償を求める訴訟を起こしている。

 これに対して裁判所は「(同行が平成21年に作った)災害対応プランにおいて、本件屋上を避難場所のひとつとして追加したこと自体が安全配慮義務違反に当たるとはいえない」「屋上を越えるような20m近い巨大津波が押し寄せてくることを、被告災害対策本部において予見することは困難であったといえる」として2014年2月、損害賠償を棄却する判断を下した。遺族側は控訴したが、2016年2月、最高裁で遺族側の上告を退け、遺族側の敗訴が確定した。判決の折に同行は、「(勝訴しても)多くの従業員を失った悲しみに変わりはない。防災への取り組みや意識をいっそう高めたい」とのコメントを発表している。

 一方で、同じ宮城県の東部に位置する石巻市門脇町の日和幼稚園では、東日本大震災発生の直後、園長の判断で、園児を帰宅させるためにバスを2台、園から出してしまった。「園児を早く親元へ返してあげたかった」と後に園長は述べているが、結果として高台にあった幼稚園には津波が来なかったにもかかわらず、沿岸部に向かったバスは津波で横転。園児5人が車内で火災に巻き込まれて死亡した。同園の災害対策マニュアルでは「地震の震度が高く、災害が発生するおそれがある場合は、全員を北側園庭に誘導し、動揺しないように声掛けして、落ち着いて園児を見守る。園児は保護者のお迎えを待って引き渡すようにする」と定めていたにも関わらず、職員のほとんどがその内容も知らなかったなど園の対応が問題視され、13年9月に園児1人当たり約2300万円の賠償請求判決が下された。

安全配慮義務と予見可能性

 2つの判決を比較する前に、まず押さえていきたいポイントがある。そもそも「安全配慮義務」とはどのようなものなのだろうか。その回答は労働契約法の第5条に定められ、2008年から施行されている。

<労働契約法 第5条>

 「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」

 すなわち、企業には「従業員が安全で健康に働けるように配慮する」義務があるということが法律に明記されており、これを守らないと損害賠償が発生する可能性があることが分かる。そして何が安全配慮義務違反となるかの基準には、以下の2つが挙げられている。

 1、 結果予見可能性…事業者に結果を予見できた可能性があったかどうか。

 2、 結果回避可能性…事業者が結果を回避できた可能性があったかどうか。

 すなわち「安全配慮義務」の概念とは、事故など何らかの結果が発生した場合、その結果に対する「結果予見可能性」があったか、無かったかで過失かどうかが分かれることになる。「結果予見可能性」がなければ、企業の過失はなかったとされるが、逆に「あった」場合は「結果予見義務」が発生する。従業員を守る組織として、そのような結果が発生することを企業は「常に予見」する義務が発生しているのだ。

 さらに、予見した結果に対して「結果回避可能性」があるかどうかを検討しなければならない。結果が回避できる可能性があった場合、「結果回避義務」が発生し、最終的にはその義務を果たしたかどうかで過失の有無が決まるということになる。

 そして現在ではもう1つ、企業が安全配慮義務を果たす上で「科学的知見」も大きな要素と言われている。「最高裁平成18年3月13日判決」では、「注意義務を尽くすには科学的な知見に基づく対策が必要である」ということが明確化された。

 本判決の概要を解説すると、1996年8月13日午後2時55分ころ、大阪の高校でサッカーの試合中に豪雨が降り注ぎ、試合を中断した。その後激しい雷なども発生したが、午後4時30分ころには雨がやみ、空の大部分は明るくなったため試合を再開した。遠くの空では雷が鳴っている音が聞こえていたが、それを聞いて教員は雷が遠ざかっているものと判断した。午後4時35分、試合中に雷が生徒を襲い、生徒は重い後遺症を負うことになった。

 この事件でサッカー部の指導教員は「雷の音が小さくなっていったので、雷が遠ざかったと考えてクラブ活動を継続した」と主張したが、判決では「音が耳で聞こえる範囲は雷が落ちる範囲である」という科学的知見があったとした。当該教員はサッカーを指導する立場でありながら、この科学的知見を知らなかったことが、本判決で安全注意義務違反と明確に認定されたのである。

想定を超えた大災害発生時の「安全配慮義務」

 さて、では東日本大震災のような想定を超えた大災害発生時、企業の安全配慮義務は存在するのだろうか。結果から言うと、2つの判決では明確にその存在が肯定された。七十七銀行判決では前述の労働契約法5条を引きつつ、「その生命及び健康等が地震や津波といった自然災害の危険からも保護されるよう配慮すべき義務を負っていたというべきである」と、判決文で明記された。それまで大災害時の安全配慮義務が大きな争点となったことはなかったので、これは大きな意味を持つものだった。

 同様に日和幼稚園判決でも、「できる限り園児の安全に係る情報を収集し、自然災害発生の危険性を具体的に予見し、その予見に基づいて被害の発生を未然に防止し、危険を回避する最善の措置を執り、在園中または送迎中の園児を保護すべき注意義務を負う」とされ、災害時の教職員らのあり方が示された。

 では、予見可能性についてはどうだったのか。日和幼稚園裁判では、被告側(園長)は「東日本大震災は地震学者すら予見できなかったものであり、…(中略)…合理的平均人(ごく普通の一般人のこと)が予見することは困難であったことから、被告には注意義務違反はない」と主張した。それに対して判決は、「予見義務の対象は本件巨大地震の発生ではなく、巨大な地震を現実に体感した後の津波被災のおそれ」であるとした。さらに防災行政無線やラジオなどで津波警報や大津波警報が発令され、高台への避難が呼びかけられていた状況から、「本件地震発生後の津波被災のおそれまで予見困難であったとはいえない」として、被告を退けた。

 次に、もう一方の七十七銀行判決を検証していく。訴状では震災時、支店長の指示で行員とスタッフ14人のうち13人が2階建ての支店屋上、高さ10m以上のところに避難した。そこからさらに3m高い塔に登り、合計13m地面から高いところまで避難したが、20mに達した津波は屋上を超え、全員が流されてしまった。実は支店から徒歩3分のところに、町が避難場所に指定する高台である堀切山があり、そこに建つ旧女川町立病院の2階以上は津波を逃れ助かった人もいたことから、堀切山に行けば助かったのではないかと遺族側は主張した。

 この主張に関して、裁判では同銀行が策定したマニュアルの合理性について議論がなされている。実は津波発生時の避難場所として、かつては堀切山のみが指定されていたのだが2009年に改正され、2階建ての支店の屋上が加わっていたのだ。関係者の証言によると、マニュアル改正は03年の「宮城県津波対策ガイドライン」と04年の「宮城県地震被害想定調査に関する報告書」を参考にしたもので、ガイドラインの中では津波のときの避難ビルについては「3階以上」とされていたが、当時の同行の担当者が県危機対策課に相談したところ「階数が問題なのではなく、高さが問題。通常のビルの3階建てと同程度の高さがあれば問題ない」と助言されたという。社屋は2階建てであったものの、3階建てと同程度の10mの高さがあったことから、同行は社屋の屋上を避難場所に追加していた。「宮城県地域防災計画」によると、当時の科学的知見では津波の最高水位は5.9m。女川町統計書では過去の津波の最大高は4.3mだったので、10mという高さは合理的と考えられるものだ。

 また、防災訓練に関しても、少なくとも年に一回は本店各部および各支店において防災体制の確認、通信機器の操作訓練などのほか、行員への緊急避難場所の周知徹底や安否確認訓練等を積極的にやっていたことも判明した。女川支店でも、期初の会議や朝礼などで避難場所は堀切山、もしくは屋上であることを徹底していたという。

 一方で日和幼稚園では、毎年訓練は行うものの、地震発生時に園児が机の下に隠れ、その後園庭に避難するという一般的な訓練のみで、教諭らに地震時のマニュアルを配布したりすることはなかった。そのため職員は「震災時には園児らを引き止めておき、保護者に引き渡すもの」という取り決めがあったことをまったく知らされていなかったという。園長の「早く親御さんに会わせて安心させてあげたい」という善意があったにせよ、マニュアルに反した行動をとらせて園児5人が死亡したことは重大な過失と認定されたのだ。

 もう1つ、緊急時の情報収集状況についても裁判所は大きな関心を寄せた。被告園長は「巨大地震の発生を体感した後も、津波の発生を心配せず、ラジオや防災行政無線により津波情報を収集しなかった」とある。宮城県教育委員会の「震災マニュアル」には「指定職員はラジオなどにより情報収集に努める。津波警報などの発生時にはさらに高台に避難する」とあり、「情報収集義務の懈怠(なまけること)と結果発生には相当の因果関係がある」と断じられている。七十七銀行では屋上に避難後もマニュアルどおり支店長が海の見張りとラジオ情報収集を支持し、そのほかにも湾背具放送等で情報を収集していたとのことで、2つの職員の行動には相当の差を見出すことができる。

企業がすべき最低限の危機管理・BCPとは

 結果として七十七銀行判決では、災害時における「安全配慮義務」に照らし合わせ、多数の死者は発生しているが、同行はBCPの策定や、災害時にもマニュアルどおりに従業員を行動させたことを認められ、「結果回避義務」を果たしたと解され、損害賠償請求を免れた。一方の日和幼稚園判決では、園長側の「予見可能性は困難」との主張を退け、マニュアルどおりに行動しなかったどころかマニュアルの存在すらも知らない職員たちの実態までもが明らかになってしまい、高額の賠償請求判決が下されてしまった。

 どちらの事例も大勢の人が亡くなっているという残念な結果であったことに変わりはない。しかし、あえて判決の明暗を分けた大きなポイントを挙げるとすれば、それは「マニュアルに即して行動ができたか」になるだろう。もちろん、何度も言うようにマニュアル自体が形骸化したものであったらまったく意味を成さないし、古いマニュアルどおりに行動して命を失った事例も多々ある。「マニュアル自体の合理性」を検証することが大前提となることは言うまでもない。

 2つの判決は、決して「高度な危機管理」を求めているものではなく、あらゆる組織が取り組むことができる「最低限レベルの安全配慮義務」を示したものに過ぎない。「科学的知見に裏打ちされた、最悪レベルにいたった際の合理的なマニュアルを策定し、日々状況に応じながらマニュアル自体を改善するとともに、従業員がマニュアルどおりに行動できるように訓練を繰り返す」。これらのことは、企業に求められる最低限の危機管理であり、BCPであると言わざるをえない。そしてもう1つ大切なことは、多くの犠牲者が発生した東日本大震災の数多くの教訓を、それぞれの組織が、しっかりと後世に伝えていくことだ。本稿の最後にもう一度、この言葉を記しておきたい。

 「備えていたことしか、役には立たなかった。備えていただけでは、十分ではなかった」
(「東日本大震災の実体験に基づく災害初動期指揮心得」/国土交通省 東北地方整備局著)。

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≪筆者注≫
本稿は全て当社の見解となりますが、両判決内容につきましては、筆者の前職時代にインタビューした丸の内総合法律事務所の中野明安先生に多くの示唆をいただきました。この場を借りて、深く感謝申し上げます。

≪参考文献≫
Wikipedia、Relo総務人事タイムス、七十七銀行判決本文、日和幼稚園判決本文リスク対策.com Vol.42「七十七銀行女川支店、日和幼稚園判決から見る企業防災の規範」

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