SPNの眼
情報を制すものはリスクを制す
外務省が昨年10月に発表した「海外在留邦人調査統計」によると、海外に在留する日本人はおよそ139万人(2018年10月11日時点)で過去最高を記録。その一方で、昨年4月21日に起きた爆発テロで邦人1人がなくなるなど、過去7年の間で8カ国のテロで邦人24人が死亡、13人が負傷している。テロだけではない。つい先日は中国中央部の武漢で新型ウィルス性肺炎が発生。多くの中国人が世界的に移動するといわれる春節(旧正月)を控え、世界的なパンデミックを懸念する声もある。
東京オリンピックを控えて国際的なテロも懸念される中、企業は海外出張者や赴任者、さらにその家族に対して何を備えるべきなのか、考えていきたい。
「情報を制する者はリスクを制す」。まずは渡航先の「危険情報」を手に入れよう
「微笑みの国」とも呼ばれ、プーケット諸島やバンコクなどの観光地が日本人観光客に人気のタイ。日本企業も自動車産業を中心に数多くの企業が進出している。しかし、2011年には大洪水が発生し、東日本大震災、阪神淡路大震災、ハリケーン・カトリーナに続く世界第4位の経済損失を発生した自然災害を発生させ、日本企業の海外における災害BCPの重要性を再認識させた。また、オーストラリアの著名なシンクタンクが公表する「世界テロ指数」によると、2018年にはテロ危険国として世界17位。近年は減少傾向にあるが、2016年には663件のテロが発生し、282人が死亡している。外務省の資料の中でも「援護件数の多い在外公館」の1位が在タイ国日本大使館で2位は在フィリピン日本大使館だ(表1)。日本人となじみの深いタイでさえ、このようなリスクを抱えていることを知る人は少ないだろう。
表1)援護件数の多い在外公館上位20公館(出典:2018年(平成30年)海外邦人援護統計(外務省))
表2は、昨年外務省が発表した過去10年の海外における邦人援護件数、人数の推移だ。その数は海外における邦人の人数とともに右肩上がりで推移している。
表2)在外公館における邦人援護件数・人数の推移(出典:2018年(平成30年)海外邦人援護統計(外務省))
これらの海外における危機管理情報を、的確に企業が入手するにはどのような方法があるのだろうか。まず一番初めにチェックするべきなのは、外務省の「海外安全ホームページ」だ。
■外務省「海外安全ホームページ」
同ホームページでは、様々な国や地域の安全情報が、その国の在外公館に勤める職員自らが作成し、情報発信しているため非常に信頼性が高い。その国のテロや犯罪情報のほか、自然災害や感染症の危険情報も入手することができるので、必ず確認するようにしてほしい。例えば本日(2020年1月13日現在)では、スポット情報として前述した中国における原因不明の肺炎の発生について掲載されている。中国だけでなく、韓国にも輸入症例があることは注意が必要だ(一部報道ではタイでも感染症例が確認されている)。WHOは今回のウィルスに対してヒト-ヒト感染が確認されていないことから、現段階では渡航制限の措置などはとらない方針としているが、韓国の拡大もあることから拡大の感染は皆無とは言えない。企業の危機管理担当者は現時点でいたずらに騒ぎ立てる必要はないが、今後も冷静に情報収集し、拡大した場合に備えておくことが必要だろう。
■中国湖北省武漢における原因不明の肺炎の発生(その3)
■韓国における原因不明の肺炎の発生(中国からの輸入症例)
(海外の医療情報については同じく外務省の「世界の医療事情」が詳しい。こちらは後編の「海外医療事情」で述べる)。
同ホームページを見るためのポイントとしては、どうしても見る側は「危険・スポット・広域情報」に目が行きがちだが、併せて「安全対策基礎データ」も確認することが必要だ。実際に同データを見てみると、犯罪発生状況や具体的な防犯対策から始まり、テロや反政府活動の状況、強盗・窃盗・その他犯罪のその国における特徴や、タクシーや飛行場でのトラブル、警察や公共職員がどのくらい信用できるかをといったことまで、具体的な事例を盛り込みながら現地の様子を解説している。こちらもぜひ参考にしてほしい。下ではフィリピンの例を挙げてみた。銃犯罪や誘拐事件など、普段のニュースでは分からない内容が掲載されている。
- 1.フィリピンにおける犯罪の特徴
- (1)フィリピンでは、警察の許可・登録を受けた合法的な銃器のほか、登録切れ、未登録の銃器や密造銃なども相当広く出回っています。このため、強盗・恐喝事件の犯人らが、これらの銃器を使用し犯罪を行うケースが多いという特徴があります(犯人が被害者や警察官・警備員等からの反撃に備えて銃器を所持している例も多い)。
- (2)フィリピン国家警察が発表した2018年(暦年)の全国犯罪統計によれば、犯罪発生件数は約47.5万件を記録しています。犯罪発生件数は、前年比で約4.5万件(約9%)減少していますが、日本と比べると犯罪件数は未だかなり多い状況です。(~中略~)外国人は比較的裕福な人が多く、銃器も所持していないため反撃してこないと見られていることから、犯罪の標的とされやすいので、長期滞在者・旅行者を問わず注意が必要です。
重大な被害を防ぐためには、常に周囲の状況に気を配ること、多額の現金や高価な貴金属、貴重品を持ち歩かないようにし、服装、持ち物等を目立たないものにすること、歓楽街や人通りの少ない裏通り等の一人歩き(特に夜間)を避けること、そして万一被害に遭った場合は、絶対に抵抗せず、冷静に対処することが重要です。また、金品を渡そうとして慌ててポケットやカバン等に手を入れようとすると、銃を取り出そうとしていると誤解され、危害を加えられるおそれもありますので注意してください。 - (3)フィリピンでは、身代金目的の誘拐が、警察が確認しているだけでも年間数十件発生しています。特にミンダナオ地方の西部地域、スールー海域等において、イスラム過激派組織(アブ・サヤフ・グループ)による外国人(船員等)の誘拐・殺害事件が相次いでいるほか、マニラ首都圏等都市部や観光地等においても、犯罪組織による裕福なフィリピン人や中国人、韓国人等の外国人を狙った誘拐事件が発生しています。
誘拐は、無差別的な犯行とは異なり、その多くは計画的なものとされています。危険とされる地域への訪問や立ち入りは避ける、目立つ服装や行動を慎む、口論や争いを避け、他人の恨みを買わないよう言動に注意する、パターン化した行動を避ける、不用意に不特定多数の人間に自らの身辺情報を流さない等の対策を講じ、誘拐の対象とならないよう日頃から慎重な行動を心がけることが大切です。
(「安全対策基礎データ」フィリピンから)
習慣の違いから思わぬ訴訟に?
海外では習慣の違いから、思わぬ事件や訴訟に発展する可能性がある。例えば児童保護に敏感な欧米諸国では、「子供を放置する」だけでも児童虐待が厳格に適用される可能性がある。米国では、(州や市によって多少の違いはあるものの)一般的に子供だけで留守番をさせる、子供だけで町を歩かせる等の行為は児童虐待に当たり、逮捕・拘留の対象となる。欧州においては、一般的に12歳以下の子供を放置すること(子供だけで留守番をさせる、自動車内で待たせる、学校に行かせる等々)は違法であり、米国同様、逮捕・拘留の対象となる。以下は実際に転勤した日本人家族に起こった出来事だ。
- 某日、母親が7歳の子供を連れて大型スーパーに買い物に行き、車に戻った際にその店に忘れ物をしたことに気づき、子供を車内に残したまま車から離れた。
- 通行人女性が警察に通報し、児童放置容疑で母親が警察の取調べを受けたほか、子供が1ヶ月間、指定の里親に預けられ、親との面会も制限された。
- 某日、乳児をお風呂に入れている写真を近所のドラッグストアで現像に出した。
- ドラッグストアが児童に対する虐待容疑で児童保護局に通報し、児童虐待(性的虐待)容疑で調査活動が行われた。
その他でも、「子供の頭をなでる」(タイやインドネシア、ネパール、インドなど、アジアの多くの地域でタブーとされている。頭は神聖な場所なので、他人が触れてはいけない)「足を組む」(足の裏を相手に見せることが失礼とされる国がある)など、通常の日本人では理解できない習慣もある。これらのことも「安全対策基礎データ」に記載されているので、ぜひ確認してから渡航してほしい。
「海外安全ホームページ」と同様に海外出張に必須なのが、「たびレジ」の登録だ。こちらは、外務省の「たびレジ」サイトから個人のメールアドレスを登録しておくことで、渡航前から渡航先の安全事情や危険情報が手に入るほか、渡航中には「○○地区で爆破テロが発生しました」などの注意喚起情報を発信してくれる。現地で事件・事故に巻き込まれた場合でも素早く支援してくれる可能性が高い。また、海外に行く予定がなくても登録することができるので、例えば家族が海外に赴任している場合に、その国を登録しておくことで、その国の危険情報などをリアルタイムで手に入れることができる。海外に居住する家族の安否確認の補助ツールとして活用するのもいいだろう。
■たびレジ
海外における多岐にわたるトラブル
海外における犯罪被害やトラブルは多岐にわたる。2018年における在外公館が取り扱った事件は合計で2万件強(表2)。その中で日本人が被害にあうものを見てみると、最も多いのが「窃盗被害」で3968件(19.2%)、次いで「詐欺被害」313件(1.5%)や強盗被害207件(1.0%)があげられる(表3)。
表3) 2018年海外邦人援護件数の事件別内訳(出典:2018年(平成30年)海外邦人援護統計(外務省))
次に、2018年の死亡案件を見てみる。表4の「事故・災害・事件等統計表」によると、2018年に海外で死亡した人数は466人。そのなかでおよそ8割の308人が疾病で亡くなっている。これはほとんどが高齢者の出張者や観光者で、時差があるにも関わらずハードスケジュールによる無理をしたり、持病の薬を飲み忘れていたりするケースだという。
表4 事件・災害・事故等統計表 2018年【全世界】(出典:2018年(平成30年)海外邦人援護統計(外務省))
では、例えば海外で出張者が心筋梗塞や脳溢血で倒れてしまった場合、企業の人事担当者や危機管理担当者はどのような行動をとらなければいけないのだろうか。次回の後編では「海外の医療事情と保険」について考えていきたいと思う。
(了)