SPNの眼

平時からの仕組みづくりで命を守ろう ~ベテランの「大丈夫」が大丈夫でないこともある~

2023.11.27
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総合研究部 研究員 小田 野々花

自然災害現場の作業員たち

1.はじめに

(1) 災害が起きたら

災害時には、様々なことが発生する。自宅が被災し出勤もままならなくなることや、道路が寸断され帰宅ができなくなってしまうこと、業務自体ができなくなってしまうことや、逆に業務が一気に増加してしまうこともある。

企業の災害対応においてよくあるのが、出勤停止や業務継続の判断が都度都度の人の判断によって変わってしまうケースだ。従業員の身の安全が確保されない可能性がある状況で、使用者側が従業員を無理に働かせたり、帰宅させなかったりということもある。こうした災害時の対応において判断を誤れば、社員が命を落とすこともある。こうした状況において、明らかに「会社側が悪い」と言い切れるケースもある一方で、従業員の「大丈夫です」という言葉を信じてしまうことが死亡事故の一つの背景となってしまう場合もある。

本稿においては、昭和54年の営林署職員の死亡事故をとりあげる。この事故においては、大雨時に、上司である主任が業務停止を提言した際にベテラン職員が「大丈夫です」と返答したことにより、上司の主任がベテラン職員に対し業務停止を強制することまではできず、提言にとどめてしまう場面があった。そうしているうちに従業員側は従業員側で、雨も強くなり業務を停止しようと判断したものの、連絡手段が無く、それを上司に伝えることができず、業務停止をためらってしまう場面もあった。本稿では、この判例を振り返りながら実際の災害時においてはどのようなことが起きているのかを確認するとともに、平時からの仕組みづくりなどの「備え」の重要性について述べる。

(2) 企業と安全配慮義務

この死亡事故を通して遺族側から起こされた裁判においては、結果として否定はされたが、営林署側の安全配慮義務違反も問われた。

企業の安全配慮義務とは、当初労災の観点から登場した言葉であったが、こと防災の分野においては、東日本大震災をきっかけにその重要性がクローズアップされるようになった。企業の防災・BCP担当者には「備蓄などの災害対策に関して、経営層の理解が薄くなかなか動いてくれない」というお悩みをお持ちの方も少なくないが、このように、取り組みが実行されない・動きが鈍いというお悩みに対して、安全配慮義務の話題は効果的だ。

〈安全配慮義務とは〉

労働契約法 第5条(労働者の安全への配慮)

「使用者は、動労契約に伴い、労働者がその安全、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」

有名な災害時の安全配慮義務違反の事例としては、東日本大震災における「七十七銀行」「日和幼稚園」の判例がある。このケースでは「災害に備えて、科学的知見に基づく十分な備え(=リスクの把握やマニュアルの整備・浸透)ができていたか」という点で明暗が分かれた。

本稿では、「企業の安全配慮義務」が問われた他の事例として、営林署職員の死亡事故(熊本地方裁判所昭和55年(ワ)第440号、損害賠償請求事件)を取り上げる。この判例で注目すべき点は以下2点だ。地震発生時に限らず、豪雨災害時においても、対応いかんでは安全配慮義務違反とされるリスクがある。

  1. 東日本大震災のはるか前から、すでにこのような判例により、災害の企業の対応をめぐって安全配慮義務を根拠として裁判が行われていたこと
  2. 東日本大震災は大地震発生時の安全配慮義務の議論だが、こちらの判例は、豪雨災害時の事例であること

2.営林署職員の死亡事故(熊本地方裁判所昭和55年(ワ)第440号、損害賠償請求事件)

(1) 概要

まずは本稿で取り上げる営林署職員の死亡事故についてその概要や時系列を紹介する。

昭和54年7月17日午前0時30分ごろ、熊本県人吉市にて、5名の職員が乗車していた人吉営林署のミニマイクロバス(以下、ミニバス)が走行中、左側の斜面にある沢の上方から突然抽出した土石流に押し流され水没し、5名が死亡した。

本件は、大雨洪水警報も出されていたものの、朝は小雨であった中でミニバスに乗って従業員が現場に向かった後に雨が強くなり、土砂災害が発生したことによる死亡事故である。降水量が多くなってきた10時台(降水量:37.5mm/h)にM主任が現場に車で向かい、様子を見に来たところまでは良いが、現場の班長及び屋外で作業していた作業員も「大丈夫」などと言って事務所に帰ることとなく現場にて屋内作業及び屋外作業(1名)を継続するとのことであったため、M主任は現場を離れ事務所に戻った。

しかし、M主任が事務所にたどり着いた11時以降(降水量:50.5mm/h)、降雨が本格的に強くなり、連絡が取れない状況下で下山指示ができないまま時間が経過。現場の従業員も指示がなくしばらくは不安にかられながら休憩所に待機していたそうだ。その頃M主任は事務所で、あまりにも降雨がひどくなったことから、「今下山するのは危険であるため、しばらく現場の休憩所にとどまったほうがよい」と思いなおすも、その旨を現場に伝えることもできず、現場の従業員は自らの判断でミニバスと自家用車で下山を開始した。その後、職員5名を乗せて下山中であったミニバスは土石流に巻き込まれた。

本件において、被災者の家族である原告は、①日頃の道路の整備・管理の瑕疵と、②大雨の中従業員を就労させたM主任の不適切な業務命令が原因で5名の死亡につながったとして裁判を起こした。しかし、休憩所での作業が職員の申し出に基づくものであったことや、そもそも土石流の発生が地元の住民でも予測困難であったこと、因果関係が十分に説明できないこと等を理由に、被告側の安全配慮義務違反は認められず、原告の棄却は退けられた。

  • 原告側の主張①:日頃の道路の整備・管理の瑕疵
    • 判決結果
      • 土砂災害の発生は予測困難であった
      • 日頃の整備は事故防止を目的としており、土砂災害を目的とはしていない
      • 土砂災害の発生場所からしても、整備したからといって土砂災害による死を防げたかは疑問
  • 原告側の主張②大雨の中従業員を就労させたM主任の不適切な業務命令
    • 判決結果
      • 日頃からM主任は特別休暇を検討したり、災害当日も業務停止を提言していた
      • 屋外の作業も、M主任ではなく班長の指示に基づくものであった
      • 第二班の従業員の判断で避難している途中の事故であったことから、M主任の命令と死との因果関係が説明できない
      • 11時以降の豪雨は予見不可能であった

(2) 時系列(抜粋)

本件の判例のすべてを記載することはできないが、本稿でとりあげたいポイントを以下に抜粋し記載する。

災害当日 7月16日

  • 熊本県に大雨洪水注意報が発令されていた。大塚事業所から第二班休憩所へ非常時の唯一の連絡手段ともいうべき森林電話は前日から不通だった。
  • 早朝は小雨であった。

10時~11時(降水量9.5mm/h)

  • 10時15分頃
    • M主任が、屋外作業をしていた職員Nに対し、屋外作業を中止し第二班休憩所での器具整備をするよう指示したところ、Nは「大丈夫ですばい。」と回答。
      ※M主任は、Nは本件林道の補修を受け持ち、同林道の状況を最もよく知っており、同人が補修作業をできないほどではないと判断したことも考慮して、上記指示にとどめた
  • 10時30分頃
    • M主任が第二班休憩所の様子を見に行ったところ、屋内作業を行っていた班のT班長は「今日は、この雨なので一日器具整備をするばい。」と申し出た。
    • M主任は、第二班休憩所の設置場所は、周囲が緩傾斜地で、沢も小さく、この当時の降雨の状況では、特段の危険も感じなかったので、下山させる必要はないものと判断し、T班長の申し出どおり、屋内作業を続けることを指示
  • 10時45分
    • 待機していた5名の作業員は、M主任からの下山指示がなかったため不安を募らせながらも昼食をとるなどして待機していた。

11時~12時(降水量50.5mm/h)

  • 11時40分頃~12時00分頃
    • 待機していたメンバーは、これ以上休憩所に待機すれば孤立し、下山できないおそれがでてきたためT班長の判断により下山を開始。
    • 途中で待機していたNを同乗させて下山してきたときに災害に遭遇。
  • 11時45分ないし50分頃
    • M主任は5名の作業員らを下山させるべく大塚事業所の職員2名を第二班休憩所に派遣したが、途中で車が水に浸かって走行不能となり下山指示は伝達されなかった。

(3) 裁判における判断基準

この営林署の事故において、裁判所の判断基準としては以下のようなことが指摘され、結果的には企業の安全配慮義務違反は否定されている。

  • 安全配慮義務の一内容として
    • 「当日の天候、気象予報、通勤路、現場の状況等から判断して、当日就業させることにより職員の生命、身体に現実に危険が及ぶ高度の蓋然性が認められる場合には、職員を就業させない義務を負い」
    • 「また一旦就労させたのちにおいても、気象状況等の変化に伴い、そのまま就労させることにより職員の身に危険が及ぶ高度の蓋然性が求められるに至った場合には、その後の就労を中止し、下山その他の措置をとり安全を確保すべき義務を負う」
  • 本件について
    • 「大雨洪水警報が発令されていても、一日降水量が五〇ミリ以下の日が半数を超えていること」
    • 「大雨洪水警報が発令されていても、屋外での作業に従事する職員は、屋外作業に支障がない程度の降雨であれば屋外作業に従事するし、屋外作業に支障がある程の降雨のときは、屋内作業、安全懇談会、場合によつては特別休暇等状況に応じて適宜の措置がとられていること」
    • 「事実及び叙情認定の全事実を総合して検討すると…(中略)…主任が被災者五名を就労させたことは相当であつて、安全配慮義務に反するものということはできず」
    • 「また、就労後における豪雨及びこれによる災害の発生を予測しなかつたことについて同主任に故意、過失があるものとは認められない」

「熊本地方裁判所昭和55年(ワ)第440号、損害賠償請求事件」より引用 太字・下線・箇条書きは筆者にて

3.営林署職員の死亡事故からいえること

(1) 従業員の「大丈夫」も信じない

災害時には、管理者側の誤った判断により命を落としてしまうケースもあるし、実際に災害がすぐそこまで迫ってきているにも関わらず従業員を出勤させる企業も、今もあるかもしれない。

しかし、ここで注目すべきは現場作業員NやT班長が、大雨だけれども作業を継続すると言っており、M主任もそれ以上の、避難の指示を強く出していないことだ。

こうしたケースは他の職場においてもよくあるケースだと考えられるが、現場の「大丈夫だろう」という思い込みも、事故の背景の1つであろう。

(2) 注意報が空振りでも油断しない

この事故の背景として、大雨洪水警報が出ていたにもかかわらず朝は雨が小降りであったことが挙げられる。今でも、大雨洪水警報が出てはいるもののその時は小ぶりであったり、警報が出てはいたが、実際にはそこまで影響が大きくなかった(空振り)ということもあるだろう。

ベテラン従業員の思い込みや注意報の空振りによって、危険なラインに達したら退避するという動きができなくなってしまっていると、災害時の事故につながる可能性が高い。本件は地元住民でも予測困難な災害であったが、「予測できないから仕方がない」ということではない。「予測できないから仕方がない」では命を落としてしまう。必要なのは、空振りが多かったとしても注意報をしっかりと受け止め、行動することだ。

特に、本件においては、連絡手段である森林電話が前日から繋がらない状態であったにもかかわらず作業を継続してしまっている点も非常に危険である。また、時系列の降水量からもわかる通り、11時以降急激に雨が強まっている点も注目すべき点だ。風水害においては、短時間で急激に雨が強まることがあるため、「まだ大丈夫」と思っていたら、あっという間に避難できないような状態になることがある。大切なのは「早めに」避難することだ。

(3) 人の記憶はあてにならない

また、風水害に限らず地震においてもそうだが、人の記憶はあてにならない。「40~50年この地に暮らしているが、風水害なんて経験したことがない」という言葉を信じてはいけないということだ。もちろん、過去の災害やその土地の情報については、人の記憶の方がインターネットの情報よりも信頼できるという側面もある。しかし、安全配慮義務でいわれている「科学的知見」とは、人の記憶や判断ではなく、国や都道府県、市区町村が啓発しているリスクや、気象庁が出している警報や注意報のことである。

(4) 人による都度の判断ではなく平時からの仕組みづくりを

前述した通り、人の記憶はあてにならないうえに、災害時においては冷静な判断ができないことも多い。そこで大切になってくるのが、平時から会社として方針を定めておき、それについて共通認識を持っておくことである。本事例でいえば、危険な状態では作業をしないことについて共通認識を持っておくことや、警報が出たら作業中止という方針を共有しておくことなどが挙げられる。災害対策の取り組みを進めるうえでは、こうした「判断に迷ったときに立ち返る基本的な方針」を持っておくという平時からの備えが、一人でも多くの命を守ることにつながることを認識すべきだ。

4.さいごに

本稿では、「災害と安全配慮義務違反」という切り口で、熊本県の営林署の死亡事故について紹介した。ただ、この事例を通して伝えたいのは、「本人が大丈夫」だと言ったとしても命を落とすケースが当然あるということだ。しかし現場においては、従業員本人、ましてやベテランが「大丈夫」だといったのであれば、上司が強制的に作業を中断させるだけの関係性でもないこともあるだろう。そこで有効なのが平時から方針を共有しておき、「警報が出たら作業を中止する」というルールを策定するなどの仕組みに落としておくことだ。

企業には、従業員を守るための安全配慮義務を負っているからこうした平時の取り組みが重要であるという側面もあるが、義務があるからという以前に、「人の命を守るため」にはこうした平時からの取り組みが重要であることは決して忘れてはならない。

5.参考資料

熊本地方裁判所昭和55年(ワ)第440号、損害賠償請求事件
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