SPNの眼
総合研究部 上級研究員 加倉井 真理
1.はじめに
「ハラスメントが会社を潰す。令和はそんな時代です」先日、書店でこんなポップを目にしました。「そんな大げさな…」と思われた方は要注意です。
ハラスメントは、個人間の問題ではなく、組織の問題であり、企業が対処すべき重大なリスクです。社員の労働意欲を削ぎ、生産性を下げるだけでなく、精神疾患に罹患する方や自殺者が出れば、企業は損害賠償責任を負うことになりますし、就・転職サイトやSNS等に「ハラスメントが横行する会社」と書き込まれれば、そのレピュテーションリスクにより、人材獲得競争力は低下します。つまり、今いる人たちは十分な成果を上げられず、休職者や離職者が増える上に、新規採用もままならないという状況に陥るリスクがあるのです。企業にとっては、存亡を左右する重大な問題と言えるのではないでしょうか。
2.ハラスメントによる経済的損失-「有能な人材」のプラスを超える「有害人材」のマイナス-
ハーバード・ビジネススクール客員助教ディラン・マイナー氏と、コーナーストーンオンデマンドの最高アナリティクス責任者マイケル・ハウスマン氏は共同執筆の報告書の中で、「有能な人材」を雇えば5300ドル程度の価値がもたらされるが、「有害な人材」を雇うと1万2000ドル以上のコストになると述べています。
この報告書での「有害な人材」とは、有能で生産性は高いが、組織に害を及ぼす行為に関与する人たちのことで、セクシュアルハラスメント、職場での暴力、不正行為など、職務規定の重大な違反で解雇された従業員たちのことを指します。また、「スーパースター」とは、きわめて生産性が高く、同じ成果を上げるためには複数の人員を雇うか、あるいは既存の従業員に給与を上乗せしなければならない人材と定義付けています。
「スーパースター」を獲得して維持するよりも、「有害な人材」を避けることの方が2倍以上のコスト削減になることに加えて、有害な人材には訴訟費用や法違反の罰金、他の従業員の意欲低下、顧客に対する迷惑などの潜在的なコストがあるとも報告しています。(2016年2月29日「ハーバード・ビジネス・レビュー」ニコール・トレース)
3.ハラスメントによる経済的損失 -休職・離職による損失-
少し古い資料ではありますが、平成20年4月9日 男女共同参画会議 仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)に関する専門調査会が「企業が仕事と生活の調和に取り組むメリット」の中で、メンタル面等の理由で6か月間休職した場合のコストを以下のように試算しています。
「中規模企業(従業員100-999人)で、従業員(30代後半、男性、年収600万円)が、6か月休職して復職(休職前後各3カ月労働生産性が低下)する場合、同僚が業務代替を行う費用(他者の残業代等)がかかり、休職者への支払いを節約できる給料を差し引くと、休職者1人当たり422万円のコストとなる」
また、厚生労働省「令和3年 労働安全衛生調査(実態調査)」によれば、メンタルヘルス不調により連続1か月以上休業した労働者の割合は平均0.5%、500人以上規模事業所では0.9%になると公表されています。たとえば、従業員500人の会社だと4.5人発生することになりますので、以下のコストがかかる計算になります。
5人×422万円=2,110万円 ※4.5人は5人で計算
離職については、パーソル総合研究所「職場のハラスメントについての定量調査」(2022年11月18日(金))を引用してみます。この調査では、ハラスメントを理由とした年間離職者数は、約86万5480人と推計しています。先ほど引用した労働安全衛生調査によれば、全国の就業者数は6,713万人であるため、双方の数値を比較すれば、就業者の1.3%がハラスメントを理由に離職した可能性があると考えられます。先ほどと同様に、500人規模の会社に当てはめると、6.5人がハラスメントを理由として退職している計算です。
企業の状況により条件が様々であるため、一概には言えませんが、採用コスト、入社後の教育コスト、離職した従業員の給与、社会保険料や福利厚生費などに鑑みると、一般的には、入社後数年で退職した場合の退職者の損失は、退職時年収の半分くらいという説や、新卒3年以内に辞めた場合は本人の貢献より企業の投資分が大きいと考えられるため、500万~1000万円のコストとなるという説があります。また、エン・ジャパン株式会社が運営するエン転職の「早期離職による損失額の目安(2023年6月21日)」によると、入社後3カ月で離職した場合のコスト損失は、1人当たり187.5万円と試算されています。
前項の内閣府の例に合わせて、年収600万円の場合で試算すると、以下になります。
600万円÷1/2(年収の半分)×7人=2,100万円 ※6.5人は7人で計算
また、全員新卒として、エン転職の試算を当てた場合の損失は以下です。
187.5万円×7人=1,312.5万円
4.ハラスメントによる経済的損失 -ストレスの影響による損失-
ハラスメントによるストレスの経済損失については、ピースマインド株式会社「ハラスメントによるストレスの経済的損失を分析~1,000人規模の大企業では約4,000万円に~」(2020年11月18日)を引用します。
同社が企業向けに提供するストレスチェックのデータ(男性分のみ)を分析した結果、2018年度調査(対象者数:約26万人)では、「職場でハラスメントを受けた」と感じている人は高ストレスの比率が約8倍高い」ということが明らかになったということです。同様の結果は2019年度(対象者数:約28万人)調査でも示されており、ハラスメントによるストレスの1人当たりの平均損失額は約17万円と試算しています。また、その中で最も程度のひどい選択肢を選んだ人の平均損失額は約40万円に上ったということでした。全社員で1人当たりの損失額に直すと、平均約4万円であり、先ほど例に出した500人規模の企業に当てはめると、約2,000万円の損失になる計算です。
5.ハラスメントによる経済的損失 -自殺による損失-
ハラスメントによる経済的損失の最後の項目として、不幸にも被害者が自殺をしてしまった場合についても触れておきたいと思います。一般的に被害者が自殺に追い込まれた場合の慰謝料額は2,000~2,800万円ほどと言われていますが、ハラスメント等の不法行為があった場合には、逸失利益も損害賠償額の対象となるため、4000万円~5000万円程度が相場とされています。また、自殺の原因としてハラスメントだけでなく、長時間労働なども証明された場合には、その額はより高額になる傾向にあります。
遺族が損害賠償請求の訴訟を提起した事案では、電通過労自殺事件(1億6,800万円)やイビデン男性社員自殺事件(1億550万円)などのように、和解金が1億円を超えた事案もあります。
6.ハラスメントの予防・解決の取組みの重要性
ここまで、ハラスメントによる経済的損失を挙げてきましたが、500人規模の会社を想定した損失額(休職者+離職者+ストレスによる損失)の合計は以下となりました。
2,110万円+2,100万円+2,000万円=6,210万円
そして、万が一、精神疾患や自殺が発生し、企業の責任が認められた場合には、上記に損害賠償金が加算されることになります。
貴社においても、これらの損失額を試算していただくと、ハラスメント防止の取組みがいかに重要であるかをご理解いただけるものと考えます。
最後に、ハラスメントの予防・解決の取組みの効果を示すデータとして、令和2年度 厚生労働省「職場のハラスメントに関する実態調査報告書」から、労働者調査結果をご紹介したいと思います。
「勤務先がハラスメントの予防・解決のための取組みを行うことで、職場の雰囲気や働きやすさなどに変化は出ていますか」という設問に対して、「積極的に取り組んでいる企業」と、「あまり取り組んでいない企業」では、積極的に取り組んでいる企業の方が、全ての項目について、「改善された」割合が、「悪化している」割合より高い結果になっています。これらの結果からも、予防と解決の取組みが、企業にとって効果的な施策であることがご確認いただけるものと考えます。
(出典:令和2年度 厚生労働省「職場のハラスメントに関する実態調査報告書」)
7.おわりに
ハラスメントによる企業の経済的リスクを中心に述べてきましたが、最も考えなければいけないことは、ハラスメントは、被害者のみならず、行為者の人生をも壊す可能性がある深刻な問題だということです。また、周辺者にとってもその後の職業人生に暗い影を落とすこともあります。
当社には「リアルマイニング®」という企業のリスクを深堀するアンケート調査サービスがあります。このサービスでは、コンプライアンスやハラスメントの調査を行うことが多いのですが、ある企業様で、ハラスメントを受けた時期に制限を設けずに、その経験を聞いたところ、「ハラスメントを受けたことがある」とした回答者の16%が10年以上前のできごとを挙げ、最長では35年前のできごとの詳細を記述した方もいました。10年以上前のできごとを未だに「許せない」、「恨んでいる」とすれば、会社に対するエンゲージメントは醸成できないでしょうし、職場の中で能力を十分に発揮することも難しいものと思われます。そのような状況で働くことはご本人にとっても、企業側にとっても不幸なことではないでしょうか。
職場での立場や経験、個人の能力や考えの違いなどがあったとしても、「人間としては対等であり、誰もが尊重される存在である」ということを念頭において他者と接し、ハラスメントが起こらないことはもとより、お互いに尊重と配慮を持った関係性を築くことが最も肝要だと考えます。
【参照文献・参考資料】
- 事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(平成18年厚生労働省告示第615号)【令和2年6月1日適用】
- 令和2年度 厚生労働省委託事業「職場のハラスメントに関する実態調査報告書」令和3年3月 東京海上日動リスクコンサルティング株式会社
- 2023年経済産業省企業活動基本調査(2022年度実績)調査結果の概要(概況)
- 内閣府「企業が仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)に取り組むメリット」
- 厚生労働省「令和3年 労働安全衛生調査(実態調査)」
- パーソル総合研究所「職場のハラスメントについての定量調査」
- エン転職「早期離職による損失額の目安」2023年6月21日
- ピースマインド株式会社「ハラスメントによるストレスの経済的損失を分析~1000人規模の大企業では約4000万円に~」2020年11月18日
- 白河桃子『ハラスメントの境界線 セクハラ・パワハラに戸惑う男たち』中公新書ラクレ 2019年
- 牟田和恵『ここらかセクハラ!アウトがわからない男、もう我慢しない女』集英社 2018年
- 向井蘭『管理職のためのハラスメント予防&対応ブック』ダイヤモンド社 2020年
- チームクレアチームクレア(一般社団法人クレア人財育英協会)「「ハラスメント」が会社を潰す。」財界研究所 2023年
- 「企業には、スター人材の採用も必要だが、「有害人材」を雇わない努力も不可欠である」ニコール・トーレス「ハーバード・ビジネス・レビュー」2016年2月29日