一歩先行く『内部通報制度』考察
総合研究部 上級研究員 森越 敦
2023年5月8日、新型コロナ感染症が感染症法上の「5類」に引き下げられ、季節性のインフルエンザなどと同じ位置づけになった。これにより、感染拡大を防ぐための私権制限を伴う措置はとれなくなるため、今後、感染症対策は個人の判断に委ねられることとなる。また感染患者の受け入れも幅広い医療機関で可能となる。3年以上に渡り続いてきたコロナ禍に対応した社会システムも、一旦の終結を迎えたのだ。そこで今回は、ちょうどいい区切りのタイミングでもあるため、コロナ禍により各企業の内部通報システムにどのような影響があったのか?ということを実際の事例※を交えながら振り返ってみたい。
※事例は特定を防ぐため、一部を変更・脚色しています。
当社は各企業の内部通報窓口のアウトソーシング先として「リスクホットライン®」というサービスを20年以上に渡り展開している。2023年3月時点の契約先は約130社。総利用可能対象者は約38万人を数え、ここ数年は年間2,000件ほどの通報が寄せられてくる。そこに初めてコロナに関する通報が入ったのは、2020年1月30日のことであった。
1.序盤(2020年1月~3月)
お客様の中にウイルス流行国の方も多いが、勤務中にマスクの着用が認められていないので不安だ。これは現場判断なのか、それとも会社としての判断か?(2020年1月 サービス業)
この頃は接客業などでは、マスクの着用は表情が隠れてしまい「失礼にあたる」という考え方が一般的であった。政府がマスク着用が感染症予防に効果があるということを正式にはアナウンスする前であったため、着用するか否かは各企業の現場判断に任されていた時期だ。そんな状況下、複数社から上記のような通報が入ってきた。しかしこの種の通報はあまり続かなかった。というのも2月に入ると、政府や自治体から「感染症予防にはマスクが効果的」というアナウンスがなされ、企業もマスクの着用をルール化しだしたからだ。そして、コンビニや飲食店などでマスクをつけた接客シーンの報道がなされると、マスクは一瞬にしてコロナ禍における“標準装備”となったのである。そしてこの頃から、新たにマスク不足やマスクの転売などが大きく問題視され始めてきた。当社の窓口にも、これに関連する通報が入ってくる。
先日より、社内で一部の社員にのみマスクが支給され始めた。会社は従業員の命の選別をするつもりなのか?大きな違和感を感じる。(2020年2月 製造業)
当時はまだ有効な治療薬やワクチンも無く、多くの人はマスクのみが唯一コロナに対する防御手段のような感覚であったと記憶している。そんな中、マスクの支給について社員間で差が生じてしまうことに対する会社への不満や不信感は相当なものであった。実際に、どうしても不公平感のある施策をとらざるを得ない会社は多かったが、従業員にもう少し丁寧な説明をしていれば通報に至らなかったと思われるケースも少なからずあった。なお、この頃はマスク問題だけにとどまらず、各企業がコロナにどう対応していいか非常に混乱している様子が伺える。それを象徴する一例がこの通報だ。
会社がコロナ発祥地とされる国に技術者を派遣しようとしている、どういうつもりなのか?(2020年2月 製造業)
確かに、この頃はまだ外国への移動に関しては、あまり制限も無く、危機感もさほど高くなかったと記憶している。夏に開催予定であった東京五輪も「やや暗雲が立ち込めた」くらいの感覚であったかと思う(結果的に1年延期)。おそらく、技術者の派遣を決めた上層部も「大丈夫かな、どうかな?まあいっか、行っちゃえ」くらいの感覚だったのかもしれない。しかし、いかに仕事とはいえ、外国へ派遣される当人たちは、かなりの不安や恐怖心があったのではないだろうか。またこの頃から徐々に増えてきたのが、リモートワークに関する通報だ。
他社では在宅勤務などが始まっているが、当社ではまったくその気配がない。早く対応できるようにすべきだ(2020年2月 エンタメ業)
確かにオフィス内は密閉、密接な空間であり、感染の危険性は低くないとの認識であった。さらに出勤のために電車に乗ればこの時期はまだ満員状態。会社が何も方向性を示さないことに対する苛立ちを感じる通報が多かった。当時のムードとしては、行政などから「3密を避けましょう」「大規模イベントなどは開催を再検討しましょう」などのメッセージも頻繁に出されており、人々の警戒心は高くなっていたが、一方で3/20の春分の日がらみに3連休には、全国の行楽地は大変な賑わいを見せるなど、どこか「自分は大丈夫かも」という気持ちがまだあったかもしれない。3/22にはさいたまスーパーアリーナでK-1イベントが開催されるなど、大規模なイベントもまだ開催できる雰囲気が残っていた。しかし、タレントの志村けんさん死去のニュースで一気に空気が変わってきた。
【参考 この時期の世の中の動き】
2020年1月6日 | 新型コロナウイルスに関する発表が厚生労働省のリリースに初めて登場 |
2020年1月16日 | 国内初の感染者発表 |
2020年1月28日 | 日本人の初感染者発表 |
2020年2月1日 | 武漢市がある中国湖北省の滞在歴のある外国人をこの日から入国拒否 |
2020年2月3日 | 集団感染が報告されていたダイヤモンド・プリンセス号が横浜寄港 5日より2週間の検疫開始 |
2020年2月27日 | 安倍首相が全国の学校に臨時休校を要請 |
2020年3月11日 | WHOが流行状況を「パンデミック」認定 選抜高校野球中止決定 |
2020年3月20日 | 三連休スタート(各地は多くの人でにぎわう)。のちの感染拡大に |
2020年3月24日 | 東京オリンピック延期決定 |
2020年3月29日 | 志村けんさん肺炎で死去 |
2.緊急事態宣言から新しい生活様式へ(2020年4月~2021年3月)
緊急事態宣言が出されると、働き方に急激な変化が見られた。事務職や営業職などは軒並み在宅勤務となり、社内の会議や顧客との面談もTV会議が主流となった。渋谷のスクランブル交差点に人っ子一人いない映像は、恐怖すら感じた事を覚えている。一方で在宅勤務が実質不可能な、工場や交通機関、店舗、医療・介護業界などの労働者は、日々不安を感じながらの勤務となっていた。この頃増えてきたのが以下のような通報だ。
現在多くの店舗が休業しているが、一部の店舗は営業を続けている。店舗により差ができていることに納得が行かない(2020年4月 小売業)
緊急事態宣言下では多くの店舗が休業せざるを得ない状況であったが、企業もなんとか少しでも売り上げを確保しようと営業方法を模索していた。そんな中、選ばれてしまった店舗の従業員は大きな不満と不安を感じてしまったのであろう。
5月には専門家会議がソーシャルディスタンスの確保や、マスク着用、対面会話を避ける、手指消毒の励行、通販の活用、帰省や旅行は控える…といった「新しい生活様式」を提言。しかしそのような人々の地道な努力をあざ笑うかのように、6月に入ると東京アラートを発令せざるを得ない状況になるなど、コロナは徐々に自分の身の回りにも忍び寄り始めた。そしてとうとう職場内で感染者が数多く出始めたのである。
本社ビルで感染者が出たが、会社は必要に応じて消毒するしないを決めるなどと悠長な事を言っている。徹底的に消毒すべきだ(2020年7月 IT業)
濃厚接触者と思われる人が1週間も経たずに出社している。(2020年7月 小売業)
おそらく、この頃は各企業にも感染者が出た場合のしっかりとした対応マニュアルなどがまだ整備されていなかったと思われる。そのため、正直、行き当たりばったりだったり、その時の現場長判断だったりと、かなり混乱しながら対応に当たっていた。また、この頃マスクマナーについての通報も非常に多く入ってきた。
鼻を出してマスクをする人、電話の際に口から外す人がいます(2021年1月 製造業)
近くにいる上司が、デスクにいる際はほとんどマスクを着けていない。くしゃみや咳も時々しており非常に不安だ(2020年12月 広告業)
マスクマナーは当然法令違反ではなく、また社内規程でも明確にNGとはなっておらず、「協力のお願い」レベルで社内に通達していた会社が多かったのではないか。そのため、きちんと守らない人もいて、真面目にルールを守る側の人達から少なからず通報があがった状況だったように思う。このように、当初は突然のことで非常に混乱していた企業でも、徐々にコロナへの各種の対応ルールが整備され、このような企業の制度不備に付随する通報も徐々に減少していった。そのうち、「ウイズコロナ」というワードも登場し、コロナ禍における企業活動の標準形が出来つつあったのがこの頃だ。
【参考 この時期の世の中の動き】
2020年4月7日 | 7都府県に緊急事態宣言 |
2020年4月16日 | 緊急事態宣言全国に拡大 |
2020年4月17日 | アベノマスク配布開始 |
2020年5月1日 | 専門家会議、長丁場前提に「新しい生活様式を」 |
2020年5月20日 | 夏の甲子園中止決定 |
2020年5月25日 | 緊急事態解除宣言 |
2020年6月2日 | 東京アラート発令 |
2020年7月22日 | Go Toトラベル開始(当初は東京発着除外。10/1からは対象に) |
2020年12月26日 | 変異種の国内感染者を発表 |
2021年1月8日 | 1都3県に緊急事態宣言 |
2021年2月17日 | 医療従事者等を対象にワクチン先行接種が開始 |
2021年3月21日 | 緊急事態解除宣言 |
3.ワクチン接種開始(2021年4月~2022年3月)
2021年2月14日にファイザー製の新型コロナワクチンの製造販売が承認され、2月17日から医療従事者等を対象とした先行接種が開始された。4月12日からは高齢者を対象とした優先接種が始まり、6月17日には18~24歳が対象に追加、さらに6月21日からは職域接種が始まるなど、人々はようやくコロナと戦える武器を手に入れたという状況であった(10月末時点では2回目の接種率70%)。しかし、このワクチンが原因となり、また新たな通報が入りだしたのだ。
会社がワクチン接種の接種状況を入り口の扉に貼りだしている。接種は任意なのにこれでは強制的に接種しなさいと言われているも同じだ(2021年9月 物流業)
ワクチンの接種状況と、接種予定を一人ずつに聞かれている。打つつもりは無いと言ったら、「何で」としつこく問いただされた(2021年10月 教育関連業)
企業としては、感染者が出てしまうと、濃厚接触者も含め一気に労働力が減少してしまうことから、ワクチン接種を積極的に進めて行きたいと考えるのは当然だろう。しかし、労働者からすれば、副反応の危険性なども考え、ワクチン接種をためらう気持ちも理解できる。そんな中、「ワクチン・ハラスメント」というような新たな言葉も生まれ、かなり強引な手法をとっていたの企業からは、そういった訴えが多く寄せられるようになった。このような事態を受けて国や自治体は、「新型コロナワクチンの接種は強制ではなく、接種を受ける方の同意がある場合に限り接種が行われる。職場や周りの方などに接種を強制したり、接種を受けていないことを理由に、職場において解雇、退職勧奨、いじめなどの差別的な扱いをすることは許されない」というメッセージを出し、事態の改善を図った。そのため、この種の通報は徐々に減少していった。
また、ワクチン接種の拡大により、すこし安心感が出てきたのか、このあたりから今まで控えていたものが徐々に復活していく。その筆頭が飲み会である。コロナ禍においては殆んどの企業が社員同士の飲み会を禁止していたが、この頃から、4名まではOKとしたり、OKだが夜9時以降はNGとしたりと独自のルールを設定していった。この頃、多く入ってきたのは以下のような通報である。
私の部署が頻繁に飲み会を開催している。来週は10名以上が参加予定だ。感染者も出ているのにどういう神経をしているのか?(2021年6月 出版業)
まじめに感染対策をしてる方や、家族に高齢者などがいる方からすれば会社のルールを破って宴会を開催する人たちに大変な憤りを感じてしまうのは当然のことだろう。ただし、これらの通報の中には、閉塞感の中、楽しそうに飲み会をする連中を実は羨んでいると思われるものや自分が誘われないことへの不満に基づくと思われるものも混じっていた印象だ。
また、この頃からコロナ禍により収入が減ってしまった飲食業や小売業の従業員からは「生活が苦しい」「今の収入源がいつなくなるかわからない」「このままでは食べていけなくなる」いといった切羽詰まった通報が多く寄せられた一方で、以下のように新たなルールの設定を会社に求める動きも出始めた。
就業規則で副業禁止としているが、コロナ禍で収入も減って困っている。同業他社以外であれば認めるようにして欲しい(2021年12月 食品)
社会的に「副業」に関するニュースや記事を多く見聞きするようになったのもこの時期だ。企業の方も、副業を認めたほうが、アフターコロナの景気回復を見越した労働者のつなぎ止めにもなるとして、従来の副業禁止の方針を大きく変え始めるところが増えていった。これもコロナ禍が産んだひとつの新しい流れであったと感じている。
【参考 この時期の世の中の動き】
2021年4月5日 | まん延防止等重点措置 |
2021年4月25日 | 4都府県に緊急事態宣言発令 |
2021年5月24日 | 東京と大阪でワクチン大規模接種開始 |
2021年6月20日 | 一部解除(沖縄は継続) |
2021年6月21日 | ワクチン職域接種開始 |
2021年7月12日 | 緊急事態宣言発令 |
2021年7月23日 | 東京オリンピック開幕(~8/8) |
2021年9月30日 | 緊急事態宣言とまん延防止等重点措置解除 |
2021年11月30日 | 新変異株「オミクロン株」感染者の国内初確認 |
2022年1月7日 | まん延防止等重点措置 |
2022年3月21日 | まん延防止等重点措置解除 |
4.明るい兆し(2022年4月~2023年3月)
2022年度に入ると、コロナ禍の重かったムードが徐々にではあるがかなり明るい方向へシフトしていく。スポーツ業界では、3月25日にはプロ野球が3年ぶりに人数上限なしでの開幕を迎えたのは象徴的な出来事であった。また、コロナ禍初期にライブハウスでクラスターが多発したことで、世間から白眼視され、かなりの打撃を受けたのが音楽・エンタメ業界。軒並みライブの自粛やフェスが中止され、ライブがほぼできなかったこの3年は、関係者にとってまさに冬の時代であったと言えよう。しかし、こちらも5月には日本のメジャー音楽フェスのひとつJAPAN JAM2022が千葉での開催にこぎつけ、ようやく明かりが見えてきた。また旅行業界では、6月からは添乗員付きのパッケージツアーに限られるが、海外からの観光客の受け入れも解禁された。このように、徐々に日常が取り戻されていったのが2022年であったのだ。
そんな中、増えてきたのが人員不足に関する通報だ。
コロナが落ち着いたが、減らした人員が戻っておらず皆が過重労働を強いられている。なんとかしてほしい(2022年10月 サービス業)
コロナにより業務の縮小、人員の削減を行っていた企業は、やや急激とも言える市場の回復に追いつけていない様子が感じられた。そのため、一部の従業員に過度なしわ寄せが行っているようだった。また2023年に入って気になるのが以下のような後遺症に関する通報だ。
嗅覚障害と味覚障害が1ヶ月ほど続いている。食事も楽しくなく、体力が落ちてきているが、上司はなかなか理解してくれず辛い。(2022年12月 建設業)
ワクチン接種後の副反応は数日で治まるのが一般的とされるが、後遺症は人によっては数か月も続くことがあり、ほかの病気も同じかもしれないが、その辛さはなかなか本人以外にはわからないもの。上記の通報者も上司に「逃げだ」「甘えだ」などと言われ、なかなか分かってもらうことができず悩まれている様子だった。今後はそのあたりのケアや配慮の必要性について会社としての認識を統一し、管理職等へ落とし込んでいくことも必要であろう。
【参考 この時期の世の中の動き】
2022年5月20日 | 政府がマスク着用について、屋外で殆ど会話をしない場合は不要との見解 |
2022年6月10日 | 添乗員付きパッケージツアーによる外国人観光客の受入れが開始 |
2022年10月11日 | 個人の外国人旅行客の入国解禁 |
2022年11月22日 | 塩野義製薬の新型コロナウイルスの飲み薬「ゾコーバ」を緊急承認 |
5.まとめ(2023年4月~現在)
未だにちらほらとは入ってくるものの、コロナに関する通報はここ数か月でかなり減少してきた。企業内においては、完全にアフターコロナのフェーズに入ったと感じる。コロナ禍において、日本の企業や労働者は全く未知のウイルスに対して、最初は過度に怯えたり混乱していた。内部通報に数多くの通報が入ってきたことからもそれははっきりと感じられた。本来、内部通報窓口は、企業内の不正や違法行為などを通報するところであり、コロナに関する不安や不満などは、本来「権限外」にもかかわらずだ。ただし、企業内に敢えて「コロナ相談窓口」などを設けず、意図的なのか、結果的なのかの違いはあると思うが、内部通報窓口にその機能を与えていた企業も少なくなかった。労働者のニーズを素早く吸い上げ、適切な対応を迅速に行うという機能において、内部通報窓口は非常に有用であったと考える。
ご提案したいのは、是非みなさんの会社の中で、今回のコロナ禍をしっかりと振り返って欲しいということ。「喉元過ぎれば」ではないが、数年たてば記憶からかなりの部分が抜けて行ってしまうだろう。コロナ禍においてどのような課題が発生し、それに対して社内でどのような工夫や変革を行い、対応してきたのか。これらを総括し、言語化することで、次なる危機に対しても、迅速に柔軟に対応できる企業力が養われるのではないだろうか。