一歩先行く『内部通報制度』考察
総合研究部 上席研究員 森越 敦
先日、北海道の札幌市郊外に住む85歳になる父親から、「もう車の運転を止めることにした」と電話があった。ここ数年は高齢者による高速道路の逆走や交通事故のニュースを見るに、いつかは自分の親も加害者になってしまうのではないかと心配し、幾度か「そろそろ止めたら?」と提案していたが、最寄りの鉄道駅までは徒歩で30分以上かかるのと、また何より免許を持って運転することが自分自身のアイデンティティの一部と言う認識もあったのだろう、なかなか首を立てには振らなかった。「危機管理の会社に勤めながら、自分の親の危機管理もできないのか?」と己の力不足も感じていたが、ようやくその不安からも解放されそうだ。さて、前置きとの繋がりに無理やり感があるが、今回は「危機管理」をキーワードに、日々様々な企業の内部通報に接したり、クライアント各社の通報担当者と会話をさせていただいたりしている中で、少し気になったことをご紹介したい。
1.調査に進むかどうかの判断
内部通報があった場合、担当部門は原則すべて調査に入らなければならないというのは今や当たり前のこととして浸透しており、『公益通報者保護法に基づく指針の解説』(以下『指針の解説』)でも「正当な理由」がない限りは、調査すべしとなっている。なお、この「正当な理由」に含まれるケースとしては、
- 解決済みの案件の場合、
- 通報者と連絡がとれず事実確認が困難な場合
が例示されているが、が実際のところ、この条件に当てはまらないのに、調査が行われないケースは少なからずある。ここではそのようなケースを二つ紹介する。
(1)通報者が通報を取り下げた場合
特にハラスメント案件で多いのが、窓口で通報内容をひととおり聞いたあと、通報者が通報したことによる身バレや報復などを恐れて、通報自体を取り下げるケースである。この場合、内部通報部門としては、通報者の意思を尊重し、それ以上のプロセスには進まないという判断をすることも多い。しかし、案件をそのまま「放置」した場合は、当然ハラスメントとして訴えらえた行為は継続しつづけることになり、状態は徐々に悪化していく可能性も高い。更に最悪の場合、メンタル的に追い込まれて自殺してしまうということも考えられるので、企業における危機管理という観点では見逃せないと言えるだろう。ではこのようなリスクがある場合は、どうするのが正解なのだろうか?確かに通報者の意思は大事ではあるが、一方で労働者の心身の安心・安全を確保することも企業としての重要なミッションである。ちなみに、前掲した『指針の解説』においては、次のようにある。
「公益通報者の意向に反して調査を行うことも原則として可能である。公益通報者の意向に反して調査を行う場合においても、調査の前後において、公益通報者とコミュニケーションを十分にとるよう努め、プライバシー等の公益通報者の利益が害されないよう配慮することが求められる」
つまり、通報者の保護には十分な配慮が必要だが、通報者が求めなかったとしても内部通報部門の判断で調査プロセスへ進むことは認められているということだ。通報者を保護する方法としては、匿名性の保全に十分注意を払いながらの調査や、被通報者に対しての通報者の探索や不利益行為の禁止を徹底することは基本だが、ある会社の事例として、セクハラの被通報者に対し、正式な処分の前に自宅待機を命じたケースもあった。何が適切な対応かはケースバイケースではあるが、二次被害が予想される場合には、このような措置も参考にすると良いだろう。
(2)通報者が退職の場合
退職者又は退職間際の方からのハラスメントに関する通報も多く寄せられるが、これらも調査するかしないか悩むケースは少なからずあり、企業によって方針が異なったりする。
例えば、「自分は、○○氏のパワハラに追い詰められ、退職を選んだが、同じような人が出ないよう、是非○○氏を厳しく罰して欲しい」というように、通報者が被通報者の処分を強く求めるようなケースでは、調査に進むことに迷いは生じないだろう。一方で、「自分は辞めるのでどうでも良いが、○○氏が原因だということだけは知って欲しかった」などと通報者が対応を強くは望んではいないケースでは、「じゃあ、これで終了でいいか」と判断してしまう企業も少なくないように感じる。通報者の退職により目の前の被害は消滅しているために危機感が薄くなることも調査に消極的になる理由になるだろうし、殆んどの企業の内部通報担当者は本業と兼務で忙しいため、調査をしない方向にベクトルが向きがちになるということもあるかもしれない。また、匿名の通報の場合は調査できる情報が提供されていても、何となく調査に消極的になるケースもしばしば見かける。ただし、何もしない場合、第2第3の被害者が出てしまうリスクは引き続き残ることになるので、やはり危機管理上は発生している事象のリスクレベルに注目して判断すべきであるし、通報者が退職したケースにおいては、本人が報復を受ける危険性もほぼ無くなるため、ハラスメントの疑いが強い場合には、積極的に調査を進めるべきではないかと思う。
2.評価・査定の問題
人事考課のシーズンが少し過ぎたころには、評価や査定に関する通報が多くなる。今年も例に漏れず、少し前の時期にそれ系の通報が多く寄せられた。例えば、「こんなに一生懸命仕事をしているのに評価を下げられた」とか「なぜ、同期の○○は昇進して、あいつより仕事ができる俺がそのままなのか?」といった類の通報は代表的なものだが、これらの訴えに、以下のようなワードが含まれると、その案件のリスクは増すと考えている。
- フィードバックの面談すらしてくれない
- なぜこのような評価になったのか、全く説明してくれない
企業において、査定・報酬のシステムを正しく機能させるということは、「人を動かす」という意味では非常に重要な位置づけのものである。野球やサッカーなどのプロスポーツにおいても、これこれの成績だったので来期の年棒は○○円というように、成績と報酬が正しく連動しているからこそ、選手は一生懸命に努力し、その選手の集合体としてチームの成績が向上するものである。もし、成績の割に年棒が低く抑えられ、それに対して何の説明も無かったらどうであろうか?このような状況では、もはや選手はこのチームで頑張ろうという気力をなくし、FA宣言などで去って行ってしまうことだろう。企業においてもまったく同じである。会社というチームを最大限有効に機能させ、業績を向上させるためには、評価や査定の経緯を、フィードバック面談でしっかりと部下に説明し、モチベーションを上げる(少なくとも下げない)ことが重要で、まさしく、それこそが管理職としての最大のミッションの一つであるとも言える。評価や査定の仕組み自体は各企業でしっかりと構築されているケースがほとんどで、最近では様々なHR系のコンサルティングサービスやクラウドツールなども一般的となり、より簡易に機能的な評価・査定ができるようになってきていると思う。ただし、問題なのは、それを使う人間がきちんと役割を果たし切れていないということだ。
もしあなたが管理職なら、ちょっと振り返ってみて欲しい。管理職になったときに、評価・査定における項目や、点の付け方基準などのレクチャーは受けたかもしれない。ただし、実際のフィードバック場面におけるテクニックについて何か研修を受けたであろうか?ここで敢えてテクニックと言っているのは、査定のフィードバックは「単に結果を部下に伝えるだけ」ではないということを言いたいのである。評価点が高い者へのフィードバックはある意味楽で、受け取る側は「喜び」、「感謝」、「満足」といった感情とともに、引き続きモチベーション高く仕事に取り掛かってくれるだろう。問題なのは、評価点が低い者へのフィードバックだ。彼らに対しては、単によくなかった点をフィードバックするだけでは足りない。そもそも上司には、査定期間中に、部下のパフォーマンスの低い活動に対して助言する義務があり、それはきちんとできていたのか?ということが重要なポイントだ。具体的に評価が良くなかった箇所をロジカルに指摘できなければならない。「なんとなくイケてないよね」ではなく、どこの何がどう足りていないかを、できるだけ具体的に、かつ、可視化した指標で示してあげなければ納得感は得られないだろう。さらに、低評価で下がったモチベーションを再び上向きにさせるような、「声掛け」や「ミッションの設定」が必要だ。ここまでやるのが査定のフィードバックにおける最低の義務であると思うが、このような実践的な研修を受けた管理職は思いのほか少ないのではないだろうか。査定は部下にとって、これからの給与にもかかわる非常に重要な案件である。ここで疑問や不満を持たれてしまうと、「ハラスメントではないか?」として内部通報へ繋がってしまう可能性が高くなる。更に言うなら、自分を評価してくれない会社には、このままいてもしょうがないと感じ、転職してしまうかもしれない。人材流出リスクは危機管理的にも問題があるのである。もし、あなたの会社でこの種の通報が見られるのであれば、一度人事部門へ査定フィードバックの実践的研修などを提案してみてはいかがだろうか。
以上