リスク・フォーカスレポート

緊急事態対応の理論と実際編 第五回(2014.8)

2014.08.20
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第5回「初動プロセス前後の失敗の検証」

緊急事態発生前の失敗

 改めて、本連載のタイトルは『緊急事態対応の理論と実際』である。今さらながら、何故、このようなタイトルのレポートを取り上げているかといえば、”緊急事態の対応”を失敗すると、被る痛手があまりに深いからである。それは、これまでも随所で指摘してきた。

 つまり、リスクマネジメントとクライシスマネジメントの連続性・継続性という動きのなかで捉えれば、まず挙げられるのは、緊急事態発生前の平時における危機管理政策の不備やリスクセンスの欠如・不足、あるいは誤った危機管理政策の推進によって、潜在リスクを社内に蔓延させてしまった、そのような状態を現出させてしまった失敗がある。

 そのような組織風土に被われた企業がいざ、緊急事態を迎えて、果して上手く対応していけるだろうか。答えは、極めて難しいと言わざるを得ない。

 もう少し詳述すると、そのような組織風土のなかで選択され、承認され、展開される各種マネジメント手法は、マーケティングであれ、セキュリティ対策であれ、人事労務であれ、財務経理であれ、そして広報であれ、どこか不自然であり、不合理であり、また、無理を重ね、外観を取り繕っている場合が多い。したがって、そのような企業にとっての緊急事態対応は、それまでの社風や、場合によってはビジネスモデル自体の大転換を迫ることにもなる。まさに、解体的出直しに向けた不退転の覚悟と決意が必要な瞬間なのである。

 見方を変えれば、大転換・大変革に向けた一大チャンスのである(あるいは、最後のチャンスなのかもしれない)。

 それを十分理解せずに、”人の噂も75日”を良いことに、どこにでもあるような、紋切り型の再発防止策で、お茶を濁すような対応を繰り返していると、また同じような事故や不祥事も繰り返されることになる。このようなケースで決定される対策本部の方針は、従来の社風や”社内の論理”に基づく発想や枠組みを超越することは決してできない。

 それ故、それを純粋に、あるいは単純に、「対策本部の失敗である」と帰してしまうわけにもいかないのである。このような企業が緊急事態発生を受けて、「今回の事態を真摯に受け止め、・・・」と発言したところで、実際は、信用されていない。何故なら、「(実は)真摯に受け止めていない」ことが、バレてしまっているのである。本当に「真摯に受け止め」ているなら、何度も同じような事故・不祥事を繰り返すはずがないからである。「そういうところが、あの企業の体質」と烙印を押されてしまっているのである。

 このような企業もブラック企業の一種といっても良いのかもしれないし、社会に迷惑をかけ(続け)るのであれば、市場から退出してもらった方が良いとも言える。

初動の失敗の整理

 次に、初動の失敗であるが、これもこれまで述べてきた通りであるのだが、ここで簡単に整理・分類しておこう。初動から対策本部設置までは一連のプロセスなので、前にも述べたように段階を細かく区切ることは難しいのであるが、あえて区分すると、「情報収集/探知」、「認知/把握」、「対応/着手」の三段階になるであろう。そこで、それぞれの段階に発生する失敗を総括してみることにする。

 まず、「情報収集/探知」における失敗とは何か。これは局面としては、リスクマネジメントの範疇に入るべきものであり、平時の危機管理体制に関わる問題である。経営情報全般に関わる情報収集のなかでも、リスク情報が大きな位置を占め、優先順位が高いのは当然のことであるにも関わらず、それが情報収集網に引っ掛かってこない、また自社に起きている、あるいは、起きようとしているリスクを探知できないという、杜撰さと鈍感さに起因する失敗・失策である。

 探知しようとすらしない場合は、すでにそこにある当該リスクを成長させ、後の状況を悪化させるだけである。一応、形だけでもリスクをリスク情報として探知できれば、その時点で、第一報入手ということにはなる。それに続く問題としては、その第一報入手者(部署・個人)が、それを関連部署や責任者に伝達・共有するかどうかである。「この程度のことなら報告するまでもないだろう」などと勝手な解釈・判断をしてしまわないことが非常に重要である。失敗は、時系列に、あるいは同時併発的にミスが重なることで成長してしまうのである。

 次に、「認知/把握」における失敗には何があるだろうか。「情報収集/探知」から「認知/把握」に至らない場合とは、先にも触れたように、事態の深刻度合い・状況レベルの判定ミス(過小評価・軽視)や見て見ぬふり(無視)をすることであるが、これは「認知/把握」段階においても、同様のことが起こり得る。つまり、正確な認知・的確な把握ができていない、疎かになっている場合である。このケースには、往々にして甘い予測が伴うものであり、厳しめなシナリオを描くことができないのである(担当者の能力の問題もある)。しかしながら、この失敗を補うためには、継続的な情報収集しかないのである。

 それによって、「認知/把握」の正確度を徐々に高めることが可能性が残されているからである。このときの担当者や責任者が、最も気をつけなければいけないのは、「そんなはずはない」といった態度や先入観である。いずれにしても、前段階(「情報収集/探知」)でのミスが放置されていれば、第一報の入手はこの段階で、初めてなされたと見るべきである。それに関連していえば、前段階とこの段階(「認知/把握」)での担当者・担当部署が同一のままか、交代したのかが、報告の有無の例証にもなり、非常に重要なポイントとなってくる。

 さて、三つ目の「対応/着手」における失敗とは何なのであろうか。最も悪いのは、「対応/着手」の段階に至っているにも関わらず、未着手のままでいることである。これは前々段階(「情報収集/探知」)、前段階(「認知/把握」)から引き継いで(あるいは、継続して対応に当たって)いながら、つまり、リスク情報を探知し、リスク事象を認知していながら、放置した不作為のミスを犯したことになるので責任は重大である。こうなると、対策本部の設置も遅れ、対応は全て後手後手となる。

 未着手の次に、悪いのが「対応/着手」の遅れということになる。とにかく素早い対応(拙速ではない)が求められるときにあって、対応の遅れというのは、無責任な印象を与え、これもまた、重大な失敗となる。対応の遅れの中には、当然、緊急記者会見の開催の遅れということも含まれてくる。こういうケースでは。対策本部の設置もできておらず、バタバタした状況のなかで、緊急記者会見の開催に追い込まれることが多く、さらに何度も会見を開かざるを得なくなるなど、失敗・ミスの連続が際限なく続く最悪のパターンの一つである。

 以上のように、時間的に短い初動プロセスのなかでも、失敗の芽は、各層・各所に散りばめられている。これらの”失敗の地雷”を踏まないためには、初動における失敗プロセスをトータルで管理できて、正しい対応を指示し、失敗を十分カバーできる代替策を実行する能力のある人間が、初動担当スタッフのリーダーとして、関与していなければならない。このような危機意識を持ったリーダー的存在が、早い時期から関わり、そのまま対策本部の中心メンバーになっていれば、緊急事態対応の方針や姿勢は、ブレることなく一貫性を維持することができる。逆に、このようなリーダー的人材を最初から排除するような組織では、とても緊急事態を乗り切ることはできないのである。

初動対応時の失敗の検証と総括

 初動対応が上手くいけば、そのまま対策本部への業務の引き継ぎもスムーズになり、権限も移管される。対策本部の設置には及ばないというレベルの”緊急”事態であれば、多少の初動の失敗も許されるかもしれないし、それ自体が表面化することもないかもしれない。もちろん、表面化する条件は確実にあるのだが、それについては、次回以降、取り上げる。

 さて、三つの初動段階全てに失敗すれば、対策本部の活動は大きく制約され、損なわれることすらあり得る。つまり、対策本部の目的と責任を必要以上に大きく重くしてしまうことになる。背負う荷物が二倍にも、三倍にもなってしまうのである。別の言い方をすれば、緊急事態そのものは起こってしまっているわけだから、さらに初動のミスによって、マイナスのさらなるマイナスからのスタートを強いられることになる。

 初動プロセスでの相次いだ失敗を取り戻すためには、緊急事態対応業務を対策本部に引き継ぐ際に、そのメンバーが初動対応チームから一新されていなくてはならない。これしかないだろう。もちろん、召集される対策本部メンバーは、事前に決まっているはずだが、失敗を重ねた初動メンバーは外されるべきであろう(緊急対応業務の継続性・引き継ぎからいえば、本来はそうならない方が良い)。

 このときリーダーシップを発揮できるのは、トップをおいて外にない。もし、トップにその資質も能力もないのならば、早々に引責辞任してもらった方が、事態収束のためにも、また長期的に見れば、会社のためにも社員のためにもなる。

 ところで、緊急事態が完全に収拾され、収束した後には、今回の緊急事態対応が検証されるに違いない。それは、緊急記者会見を含めたメディア対応であったり、その他のステークホルダー対応であったり、対策本部全体の総括も含まれるだろう。しかし、実際には、対策本部の検証すべき失敗というものは、ある程度限定されているのも事実である。何故なら、その発生事態の種類と規模によって、対策本部(の各班)が、誰を相手に、何をすべきかが、大枠決まっているからである。

 それよりも、ここでは論述の流れから、初動対応の失敗に焦点を当ててみる。初動プロセスの失敗の検証と総括は、実は原因究明や再発防止策の策定には、直接的には関わってこない。繰り返しになるが、事象として起こるものは起きてしまうし、起きたことは元に戻らないし、戻せないのである。リスクマネジメントの推進過程で、いくら想定外比率を極少化しようが、文字通り、不測の事態は起きてしまうのである。

 しかし、想定外比率の極少化対策の策定は、事象の発生原因や予防対策を前提として置いている。再発防止策に関していえば、それまでの予防対策を強化する方向性が当然のことながら示されるわけである(強化の方向性は多様であって良い)。

 不祥事多発(頻発)企業においてさえ、事態の発生を本当に真摯に受け止めているならば、原因は熟知しているはずであり、再発防止策にも真剣味に溢れるだろう。そうなれば、不祥事多発(頻発)企業の汚名は注がれる。

 しかし、初動での失敗とは、これまで述べてきたように、初期対応上の失策・ミスであり、いわば初期段階での、事態発生に次ぐ二次被害といえる。つまり、その後の被害の拡大化・長期化を止められなかった、むしろ、対策本部の業務や活動の足を引っ張り、被害の拡大化・長期化を促進してしまった致命的な失敗とさえ言って良いくらいなのだ。

 したがって、最終的な原因究明や再発防止策の策定と公表においては、たとえ第二義的ではあっても、あるいは間接的な要因としてでも、検証され総括された初動対応の失敗が、必ず記述されていなければならないのである。それがないから、同様事態も、同様ミスも学習されることなく、繰り返されてしまうのである。

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