リスク・フォーカスレポート
第7回「対策本部におけるマスコミ対応の本質」
いよいよ本連載も最終回を迎えます。これまで述べてきたことを概括するとともに、まだ触れていなかった注意点などを挙げて、本稿のまとめとさせて頂きたいと思います。最後までお付き合い下さい。
ここまでの概括
これまで述べてきたように、一言で緊急事態といっても、その種類・規模・特徴・影響等が様々な様相を呈していることは、理解頂けたと思う。緊急事態を事件・事故・災害・不祥事・スキャンダル等に大別したが、それでも実際には同一類型のなかでも個々の案件によって、展開は異なる。当事者である企業が様々なのだから、当たり前といえば当たり前のことである。ただ、発生した事象や事案には固有の特性があり、また社会の反応にもある種の共通項が見出せる。
さらには、当事者企業の対応には独自性はあるものの、対応の巧拙双方で、共通項は括れる。即ち、「巧」の場合は上手い緊急事態対応、「拙」の場合は下手な緊急事態対応ということになるわけだ。緊急事態対応の失敗とは、初動・対策本部活動・緊急マスコミ対応のいずれか一つか、二つか、あるいは三つすべてに失敗していることも見てきた通りである。それらの時点で、何故失敗するのかは、そこに失敗する要因とメカニズムが社内に潜んでいることを十分に把握することが必要なわけである。
実はそのためには、さらに緊急事態発生後の初動・対策本部活動・緊急マスコミ対応以前の平常時のリスクマネジメント機能が重要であって、それが緊急時のクライシスマネジメント活動の遂行を円滑にもするし、阻害もするのである。これが緊急時対応という独立した一区切りの対応のように見えて、実は過去からの連続性に保障されていることが理解される。しかも、その連続性はその後、つまり緊急事態収束後も再発防止策の実効性によって、本来は架橋されていくのである。
しかし、この過去から現在、そして未来に向けての健全経営の一貫性・連続性にストップを駆けるものがある。それが取って付けたような表面的・表層的な制度やルール、あるいは組織設計などである。要するに、それらを導入したはよいが、身になっていない、組織全体に浸透していない、社員の意識レベルまで落し込まれていないためである。
それらの単一要因および複合要因が緊急事態対応を拙くさせている、もしくは緊急事態発生のトリガーにもなり得ることを十分に認識しておくべきである。
対策本部の動き
対策本部内にそもそも広報班や報道チームが組み込まれていない場合は、緊急事態レベルがそれほど高くない(社会的影響が小さいと判断された)ことは前にも触れた通りである。また、広報班や報道チームがあったとしても事案によっては、クライシスコミュニケーション全体のなかで、決してマスコミ対応が第一義ではなく、むしろ他のステークホルダー対応(被害者など)が最優先されるケースがあることにも触れた。ただ、そのタイムラグは、実際にはほとんどないことを説明した。再度、ここでその点について、別角度から解説してみたい。
対策本部内の各チームが対象とするステークホルダー毎に見ていこう。まず、顧客対応であるが、発生事案によって顧客が何らかの被害者になる(あるいは被害者になる可能性がある)ことが多い。顧客は法人かもしれないし、個人かもしれない。あるいは、その両方の場合もある。いずれにしても、事件であれ、事故であれ、被害者への対応には、警察や医療機関が介在することが少なくないため、それらはすぐマスコミの取材対象になる。また、顧客に対する説明後には、それをHPで開示する、開示しないに関わらず、多くの問い合わせやクレームが入ってくる。この問い合わせ対応に失敗する(含.被害者の家族)と、この事実はすぐに取材対象になるのである。逆に、事態の重大性に鑑み、記者会見を開いたとしても、そこでの失敗のため、コールセンターへの入電件数を増加させたり、クレーム化を誘発することがあることにも留意が必要である。
次に、株主対応については、瞬時に証券市場で流布されるので、取材対象になってしまう。株主対応に失敗すれば、尚更である。社内対応の場合はどうか。発生事態への説明が不十分であったり、後手に回る、あるいは外部への謝罪等に納得できないなどの場合、社員がツイッタ―等のSNSで会社への批判めいたコメントを呟くなどすれば、「社内からも批判が出ている」と報道されることは間違いない。それでは、地域住民対応については、どうであろうか。これは、地域社会という一定の拡がりがあるため、そのなかの利害関係も複雑であり、マスコミから見れば多様な取材対象者が存在していることになる。
さらに、行政対応の場合はどうか。先に被害者対応の際に警察や医療機関が介在することを述べた。自社が捜査対象になった場合は、警察以外にも検察や国税、消防などの捜査・査察等に全面協力するしかない。それら以外にも、公正取引委員会、証券取引等監視委員会、食品安全委員会、保健所、労働基準監督署等の行政委員会・監督機関などへの対応も同様である。それらからの勧告、指導、場合によっては告発などがなされないように最善の注意が必要であり、何らかの処分を受けたときには唯々諾々と従うしかない。
また、各業種の所管官庁である中央省庁(金融庁・経産省・農水省・厚労省・国交省・総務省・消費者庁等)に対しても、当然のことながら同様の対応をしなければならない。
そして、これらの行政機関等が、常時マスコミの主たる取材対象先であることを忘れてはならない。
これらの行政機関等からの発表であろうと、メディア側の独自取材であろうと公的機関の動向や見解はすぐにニュースになる。一企業の緊急事態であろうと、それが社会を揺るがすほどにインパクトのあるものならば、その当事者企業の行政対応・行政不対応に関わらず、マスコミの取材は開始されるのである。さらに、行政機関だけでなく、企業のすべてのステークホルダーが取材対象先なのである。これらがほぼ同時併行的にマスコミ各社によって行われるわけであり、また特定ステークホルダーだけでなく、全ステークホルダーがマスメディアの読者であり、視聴者である事実も見落としてはならない。
以上の背景から、実は「マスコミ対応が第一義ではない」などと悠長なことは言ってはいられないことを再度強調しておきたい。但し、マスコミの興味・関心の対象外のレベルの”緊急事態”であれば、話しは別である。
広報の動き
さて、それではマスコミ対応の先頭に立つ広報部(あるいは広報班)の機能は十分であおるか。これに関しては、近年の緊急記者会見の失敗事例に限らず、やや機能不全に落ちいっているのではないかとの疑念がある。その幾つかを以下に紹介しよう。
まず、緊急記者会見開催のコミットメントが広報にあるのかどうか非常に疑わしい。もちろん、その決定権は対策本部長であり、社長であることに変わりはないだろう。ただ、広報が、それに対して重大な発言権を有していると考えるのが妥当であろう。しかし実際には、記者会見開催の決定と指示を受けて、その準備に向けてだけ(その準備も慌ただしく、大変な作業であることは間違いないのだが)、あるいはマスコミ各社への連絡だけをするのが、広報の仕事と勘違いしているのではないかと思われる事例が目につく。
例えば、マスコミ各社への連絡をPR会社に丸投げしている、広報部長がいるのに会見の司会進行役を総務部長が仕切る、あるいは広報部の若手・中堅スタッフに任せてしまうなどである。これは少々首を傾げたくなる現象である。一部上場企業で、広報部という専門部署があるにも関わらず、このような現象が起きるということは、その企業内での広報部の位置付けが軽視され、危機管理における広報の役割の重要性が全く認識されていない証左である。また、蓄積された広報スキルやノウハウを持っていない新興企業や非上場企業が緊急事態に直面し、マスコミ対応すると、素人集団の対応にならざるを得ない。
社内に広報のエキスパートもおらず、またエキスパートを育てる必要性も認識していない組織であれば、メディア対応に慣れておらず、そのスキルも持たない対策本部が仕切ることになるので失敗する羽目になるのである。
上場・非上場を問わず、何故このような傾向が強まっているのだろうか。広報部長は決して飾りものではない。その職責には危機管理的素養が必須の資質として求められているのである。まず、トップがそのことを理解しなければならない。
かつて、不祥事等でマスコミに叩かれた企業広報は、その後強化されたものだが、最近では、どうもそうとも言い切れず、培ったノウハウやスキルが上手く継承されていないようである。ただ、それだけではなく、最近は広報部の活動がマーケティングやブランディング、あるいはWebにシフトし過ぎているように見受けられる。
マーケティング部や広告宣伝部のサポート以上の業務に広報が踏み出しているのではないだろうか。その結果、もう一方の広報の中核業務たる危機管理が疎かになっているために、上掲のような現象が起きているように見えるのだ。まさに、広報部門の劣化である。これではマスメディアの劣化を嗤うこともできないだろう。広報の劣化は必ず危機管理の劣化を招く、これは肝に銘じておくべきである。
その他注意点
その他に企業側の被害者リスクについても触れておこう。これも幾つかの類型に分けて説明していく。まずは、緊急事態において、当該企業が加害者である場合でも、結果的には、顧客離れ、株価・企業イメージ・売り上げの低下などの実害を被ることになるのである。再三述べてきたように、緊急事態対応に失敗するとその実害が大きくなるのである。ブーメラン効果で自社もまた被害者になるのである。また、悪意ある外部や第三者による犯行の場合は、当該企業は確かに被害者ではあるけれども、それによって顧客等に被害が波及するようであれば、やはり加害者の面も併せ持つことになる。
次に、コンプライアンス上の問題を生じさせたとき、それがそれほど大きな問題になるとは、それほど悪いことだとは思わなかったというような事例がある。昨年のメニュー偽装などは、このタイプである。事例自体は多様な展開を見せたが、象徴的な食材としてバナメイエビが挙げられるだろう。これについては、バナメイエビ自体のブランディングを業界挙って実施して、その食感・味覚・価格が妥当な線として、社会一般に受け入れられていたら、どうだっただろう。「ああ、偽装ではなくて、単なる誤表示だったのか」で済んでいたはずである。
もちろん、白を黒と言い張るのは良くないが、灰色である、あるいは限りなく白に近い灰色であると、世間に受け取られるような企業努力は払われたのかとの疑問は残る。
一方、社内の情報共有ができていなかったとか、経営陣やフロントは調理現場については、シェフや料理長に口を出せないという業界事情はまた別問題(マネジメント)なのである。微罪なのに極悪人扱いされないためには、このような企業努力やリスクマネジメントが絶対的に必要である。
さらに、上記例とも絡むが、理不尽な規制強化や実態にそぐわない一方的なコンパライアンス強要なども、企業の被害者リスクの一例である。これは世間やマスコミが一方的に思い込んでいることが、実は正しくないという場合に起こる非常に厄介な問題である。
「社内の常識が社会の非常識」の反対の場合である。つまり、「社会の常識が社内(業界)の非常識」になってしまっているのである。
ただ、このようなときこそ、バナメイエビ同様、広報の出番なのである。一社だけでなく、業界を挙げて正確な世論形成に向けた一大キャンペーンを展開していくべきなのである。このときにモノを言うのが、マスメディア人脈である。編集委員や論説委員、その他の言論人・評論家、学識経験者を巻き込み、個々の規制の強化や緩和の理不尽さを訴えて、当該官庁に対する包囲網を形成し、世論を見方に付けるのである。これは重要なリスクマネジメント戦略と言ってよい。
また、不祥事を起こしたときに、確かに自社に反省・改善すべき点はあるのだが、反面規制当局の側にも問題があったとする。それでも初回の緊急記者会見のときに、そのような発言は絶対に控えなければならない。責任回避と受け取られるからである。問題が一段落し、当該企業に対する批判も鎮静化してくると、新聞は必ず社説などで、問題の総括として、当局側の問題点を指摘してくる。そのタイミングを有効に捉えるべきなのであって、
これこそ広報センス、リスクセンスそのものなのである
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最後に、緊急時にこそ、その人間や組織の本性・素性・品格・品性・卑しさ・下劣さ・価値観のすべてが露見するものであることに触れたい。つまり隠しきれない、どうしても素性が出てしまうのである。平素から誠実でない者(企業)が、緊急時に急に誠実になれるものではない。緊急事態対応や危機管理を考える上で、この認識を絶対に保持していなければならない。いくら制度やシステム、ルールやマニュアルを整備・導入したところで、普段からの自分や自社を厳しく律する気構えがなければ、所詮それらは絵に描いた餅となり、その企業に緊急事態は再来する。