リスク・フォーカスレポート

熊本地震 第3回(2017.4)

2017.04.25
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南阿蘇村

(1) 被害状況

第1班

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 南阿蘇村は、住宅もまばらな人口の少ない地域であった。住宅の全壊の比率は益城町と比べると少ないが、山肌や道路などの崖くずれが非常に目立つ(南阿蘇村、第1班報告)。

第2班

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 第1班の報告にもありますが、地震によって山肌が削れて木々が押し流されています(写真左は南阿蘇村、写真右は南阿蘇村立野)。

(2) 公共施設等

(ア)病院

 当該地域の医療施設は、建物内に物資が置かれたまま、全く人影が無く、入院患者を全て別病院に移した後のようでした。元々は総合病院であったことが窺え、地域住民にとって不可欠な施設であったと思われます。この病院が運営されていないだけでも、この地域での生活に困難さが想像できます。

 災害時においては、医療機関の被災は、被災者の救命救急や健康管理にも大きな影響をもたらす。医療機関の災害対策や事業継続体制の重要性を改めて考えさせられる状況でした。

(イ)道路の状況(分断→迂回ルート)

第1班

 熊本から南阿蘇村へ通じる道路も、一部崖くずれの影響でその場所を迂回する新道が旧道と並行して走っていた(第1班報告)。

第2班

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 阿蘇大橋へと通じていたと思われる道路が崩落しています(写真左)。現在は以前のルートより標高が低いルートを建設しています(写真右、南阿蘇村立野)。

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 工事現場付近に掲示されていた進捗状況を示す時系列写真です(左上から順番に2016年9月末・10月末・11月末)。赤点線部分が、崩落した旧道路と思われます。これまでのルートとは別に、新道が建設され、同時に阿蘇大橋も復旧作業が進められています。しかしながら、これだけの工事にはどれだけの時間がかかるのか想像もつきませんでした(南阿蘇村立野)。

第1班

 南阿蘇村のさらに奥の地域は工事車両以外の一般車両が進入禁止のため入れない状況(第1班報告)。

第2班

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 南阿蘇村の東側地域に向けては、57号線が通っていましたが、第2班視察時点においても通行止めでした。そのため、かなり大回りの迂回路(通称ミルクロード)を通って山を越え、阿蘇山麓の地域に入りました。

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 迂回ルートの途中にも崩落個所がありました。封鎖するもの(立て看板等)もなく、当然ガードレールも崩落しているため、夜間の通行は困難を極めるものと思います(南阿蘇村河陽)。

(ウ)観光資源

塩井社水源

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 南阿蘇村の観光資源のひとつである塩井社水源の現状です。以前は湧水があり、観光名所となっていました。なお、次の画像は熊本地震以前の塩井社水源です。
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 熊本地震が地下の構造を変えてしまい、水がわかなくなってしまったことが考えられます。南阿蘇村の観光資源のひとつが枯渇してしまいました(南阿蘇村)。

阿蘇下田城駅

 温泉のある駅舎として観光資源の一つであったことが窺える阿蘇下田駅も地震の影響で封鎖されており、南阿蘇鉄道自体も運休を余儀なくされています(南阿蘇村河陽)。

(3) 南阿蘇村の様子

 第1班報告にあるように、南阿蘇村は幹線道路が崩落してしまったことにより、西側(益城町方面)と東側(阿蘇山方面)に分断されています。西側自体も病院が運営不可能の状況等、生活するうえでの困難は余りある状況ですが、さらに東側(阿蘇山方面)の住民は、道路自体に崩落のある迂回ルートの通行を余儀なくされながら物資の調達を行っていることが推測されます。

 将来的に道路が復旧したとしても、観光資源のうち、阿蘇山の噴火、塩井社水源の枯渇、南阿蘇鉄道の運休等の支障があります。そのような状況でも、南阿蘇村付近の蕎麦屋では、そば打ち体験で集客に努めていました。駐車場のナンバープレートは80%程度が熊本ナンバーでしたが、一部福岡、大分、山口といった地域も見受けられ、将来的には、復興に向けて県内外へのアピールがポイントとなるでしょう。

視察から得られたこと~当社にできること~

 企業危機管理を支援する当社として、大規模地震発生後の状況と危機管理ニーズの把握とそれに基づいて、「当社としてできることはないか」を探ることを目的として、 3班に分けて、現地を視察しました。その主たる内容は、これまで3回に分けて熊本地震による被害の状況や被災地の状況について報告させていただいた通りです。

 今回、3回の現地視察を踏まえて、当社として、被災直後に「被災地でできること」は次の通りです。

(1) 警備業務(行政との連携)の可能性

 熊本県福祉協議会および益城町福祉協議会からのヒアリングにもあるように、被災地では自治会や安全協会・防犯協会が地域の防犯活動を担って活動しており、窃盗や強盗、性犯罪等の抑止や事故等の防止のための「防犯・安全」に関するニーズはあることが確認できました。

 被災地の規模や地震の状況にもよりますが、被災地のニーズ自体が見守りや防犯活動にあるのであれば、当社として、支援活動の余地があるものと考えています。

 企業の現地事務所(拠点)や店舗、病院等、被災地の拠点には、商品や現金、金券のほか、顧客等に関する書類や個人情報、薬品(病院や薬局の場合)・医療機器等が置き去りにされたまま、立ち入り禁止になったり、活動拠点を移動したり、閉鎖・休業となっているものが少なくなく、それらの財産の保全の必要性も高く、警備・警戒が重要になってきます。

 特に、冒頭の「行政の対応」において言及しましたように、熊本地震の場合、警察庁の対応は長くても地震発生から2か月半(2016年6月下旬)で終了しています。この期間経過後は特に防犯対応のニーズが高まるものと考えられます。

(2) 情報発信支援の可能性

 第2班視察時点では、地震発生から8か月が経過していましたが、県の福祉協議会と市区町村の福祉協議会の間で、特に住民のニーズに関する見解に相違が見受けられました。

 地震発生直後は情報が錯綜することが多く、通信インフラも正常に機能しない場合が少なくありません。被災地は、発生直後はかなり混乱しますが、その混乱が企業の本社にまで及ぶことを可能な限り避けることが望ましいことは言うまでもありません。

 このような状況を踏まえると、当社が貢献できることとしては、熊本地震でも実施したように各種ホームページに開示された情報を「当社ホームページ(当社会員企業専用サイト)」に集約し、それらを更新し続けることで、被災地の収集環境を整備することが考えられます。東日本大震災後にも、各種ITの特性を利用した種々のサイトやサービスが立ち上がりましたが、今後、震災が発生した場合も、このような情報集約・提供サービスは、企業の震災対応や危機対応、事業継続に大きく貢献できる可能性を秘めています。

 当社の会員企業専用サイトでは、平素より、危機管理リンクのコーナーに、様々な機関や企業のリンクを集約しています。中には、災害拠点病院を調べるのに便利なWEBページや公衆電話の所在場所がわかるNTTのWEBページなどもあります。しかし、これらの危機管理リンクに加えて、熊本地震発生後は、炊き出しをしている品場所の情報や各種の手続きに関する案内等へリンクを貼り、被災地の情報を発信してきました。

 このような形での有用なリンク先の集約と情報発信は今後も継続的取り組むと共に、これらの情報を活用いただくためには、各種の情報を収集・集約・更新し続けていることを周知することも重要であることから、より充実した情報を発信できる体制を整えていきます。

(3) BCP/BCMの視点

 災害発生時の事業継続には、事前の計画等に加えて、実際に被災した従業員(人)の生活基盤の復旧(完全には復旧に至らずともある程度の水準)が必要になるのではないかと考えます。本稿冒頭ではひとつの基準としてライフラインの復旧を挙げました。数字上ライフラインの復旧が早いと判断できる熊本地震でも2週間を要しており、少なくとも2週間程度耐えられる準備(非常食等)も肝要と考えます。それが土台になって、初めて事業の継続(計画に即した速やかな復旧)が実現できるものと思いました。

(4) 当社ができること

 BCMの検討や見直しの材料(契機)となることを目的とした「今、できること」の支援、すなわち、東日本大震災や熊本地震を通じて、震災発生を想定した事業継続および従業員の安否確認・安全確保・生活基盤の(必ずしも完全ではない)復旧に関して、各事業所の所在地(都市部・地方)、業種・業態等(製造業、小売業、オフィス等)、規模(従業員規模や施設規模)に応じた内容が考えられます。益城町の社会福祉協議会へのヒアリングにおいても明らかなように、平時に訓練をしていても有事には訓練通りに行動できないことが容易に想像できます。しかしながら、平時の訓練の中には、形式的な訓練も散見されます。こうした訓練を何回も行うよりは、より実践的な内容にすることが必要でしょう。具体的には、企業において訓練を実施する場合には、本番さながらの災害対策本部の模擬運営が肝要です。「滞りなく行うことが目的の訓練」から「本番を想定して事前に改善点を洗い出す訓練」への意識改革と実践が求められます。

おわりに

 熊本視察を通じて、改めて、時間の経過によるニーズの変化と地域(被害状況)ごとのニーズの違いを認識しました。

 地震発生直後は、がれき撤去、住居の修繕や、リフォームが進むにつれて家財の移動、あるいは仮設住宅への引っ越しといった力仕事が挙げられます。そして、少しずつ家財移動後の清掃等といった力仕事以外の要望が寄せられているとのことでした(同時並行してメンタルのケアもあるのかもしれません)。また、新しい環境での生活が始まるにつれて、見守りやイベント等を通じたコミュニティーの再形成、あるいは孤独にさせない対応が必要になるのだと思われます。

 また、今回の視察においては、熊本市、益城町、南阿蘇村といった都市部から住宅地、そして山間部を視察しました。被害状況が異なるため、それぞれの地域で必要とされることが異なることがわかりました。熊本市内は他の市区町村に比べれば、多少は日常生活に戻りやすいと思います。都市部であるため事業所が集中していることもあり、比較的早く事業の復旧や継続に目を向けることができたと思われます。しかし、益城町や南阿蘇村は生活基盤そのものが崩壊していました。

 いつ発生するかわからない災害に対して、今後何らかの災害が発生した場合に、ニーズからずれることなく当社が貢献するためには、地震発生直後に対応できることは限られているのかもしれません。それよりは、長期的に被災地に対して何ができるのかを考え、実行可能な部分から実行していくことが重要だと思います。益城町福祉協議会のボランティアセンターに対して、「われわれSPNは熊本を忘れていませんから」と投げかけた時の担当者の表情が印象的でした。また、再掲になりますが、「私たちにとって、震災はまだ終わっていない」(第1班報告)ともあります。月並みな言葉になってしまいますが、「風化させない」ことが被災地への貢献の第一歩となるものとあらためて思います。


【参考資料・参照ホームページ】

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