30秒で読める危機管理コラム

危機管理のプロの観点から時事ニュースを考察しました。

画期的な判決だ~組長訴訟における時効不成立の認定

名古屋高裁は、六代目山口組系の幹部から不当にみかじめ料を支払わされたとして、愛知県内の自営業の男性が篠田建市組長と傘下組織幹部の暴力団対策法上の使用者責任を認め、損害賠償を命じた。注目すべきは、民法上の「消滅時効」規定について、「暴力団から脅かされている状態で合理的な対応ができる心理状態ではなく、時効は成立しない」と認定した点だ(なお、慰謝料も認定されている)。暴力団からの金銭要求を巡る損害賠償請求権の時効不成立を認める判決は全国初という。暴力団の悪質さ・脅威をふまえ、正に「支払いから時間が経ち、泣き寝入りしてしまっている被害者に希望を示す判決」(被害者弁護団)だ。暴力団の資金獲得活動に大きな打撃を与える画期的な判断と評価したいが、さらなる存在の不透明化や手口の巧妙化をもたらす可能性もある。(芳賀)

「再現試験」をリスクマネジメントに取り入れよう

製造業では消費者から「破損した」といった苦情が寄せられたら、再発防止のために同型品を使った"再現試験"を行うことが通例だ。製品を使用条件下に置いて破壊、劣化等を試験し、原因特定のうえで改良するわけだ。ところで、小売、飲食、サービス業では問題が起きて再発防止策を講じることはあっても、策を決める過程で再現試験を行う習慣はあまりない。接客の悪さを"再現"する、出前で自転車配送中の汁こぼれを"再現"する、といったことはあまり聞かない。再現せずとも原因が特定でき、再発を払拭できるなら不要だろうが、必要なら取り入れるべきだ。昨年の暮れ、百貨店がオンラインショップで販売したクリスマスケーキが崩れていた問題。百貨店の公表は「原因の特定は不可能と判断しました」で終わっている。再現試験はしなかったのだろうか。(宮本)

自民党パーティー券裏金問題の本質(上)

自民党パーティー券問題は派閥解消か否かの問題に矮小化され論点がずれている。問題の本質は、パー券収入が収支報告書に未記載で裏金に使われている実態だ。政治と金の問題は古くて新しい。政治資金規正法には抜け穴が多い。政治ではなく選挙と国会運営に金をかけすぎている。常時、選挙区に複数の事務所と複数の秘書を揃え、各種陳情・会合に対応し出席する。これが国会議員の仕事なのか。またどの選挙区でも多様な族議員や世襲議員が存在し、中央官僚は関連業界や団体に天下る。今回のパー券問題とそれに付随する脱税疑惑とは、これら一連の政官業の癒着の構図そのものだ。パー券の売買とは政策の売買である。内閣官房機密費まで含め、政治資金の透明性確保は待ったなしだ。検察は捜査を継続すべきであり、一方投票率の低い我々有権者の責任も重大だ。(石原)

自民党パーティー券裏金問題の本質(下)

今回のパーティー券問題に限らず、経団連をはじめとした団体や個別企業の政治献金は改めて全面的に廃止にすべきだ。その企業や業界にとって有益なことが社会全体・国民のためになるなら良いが、単なる業界や自社利益に誘導するための献金は政策を歪め癒着の温床となる(外国人含む)。献金やロビー活動などによらず、公明正大な政策提言を高らかに謳い世に問えば良い。その際、自らの都合の悪いことも包み隠さず透明性と清廉さを矜持とする。会社として特定政党を支持することは最低限許容されよう。しかし会社には投票権はない。従業員に特定政党への投票、ましてや入党の勧誘などは絶対にしてはならない。腐敗への加担は許されない。これはコンプライアンス研修における最優先課題である。それができないならば危機管理やCSRなど訴求するべきではない。(石原)

BCPの策定が明暗を分ける

先週に引き続き、能登半島地震に関連する帝国データバンクの調査結果から。石川県・富山県の13市町村が含まれる能登半島に対し、他地域から営業所や工場などの拠点進出を行った企業は23年11月時点で890社1300拠点。市町村で最も多いのは七尾市で293拠点(22.5%)。また、能登半島に工場を置く主要企業(※能登半島外に本社があり、国内証券取引所に上場、もしくは年間売上高100億円以上の企業)26社のうち、4割は再開時期を「未定」とする。ただ、暗いニュースばかりではない。PCモニター製造で世界的にも有名なEIZO株式会社は、石川県白山市の本社工場については1月4日から通常稼働、最も被害の大きい七尾工場でも1月22日から30%稼働、3月4日には100%稼働を目指すとリリースしている。BCPの策定が、企業の明暗を分けているといっても過言ではないだろう。(大越)

▼令和6年能登半島地震の影響について(第三報) EIZO株式会社

原作へのリスペクトあってのエンターテイメントを願う

以前、自分が実施したセミナーのタイトルや案内文、内容の筋立てを、別の講師がそっくりコピーしたことがあった。業務として作ったレジュメに自分が主張できる権利はない。モヤモヤするが、「セミナーが評価された証拠だから喜べ」と言われれば、納得せざるを得なかった。たかがセミナーでさえ感じたモヤモヤ。時間をかけて、精魂込めて生み出したキャラクターやストーリーが守られず、納得できないままで世に出すしかなくなれば…それは苦しいだろう。漫画には漫画の、ドラマにはドラマの流儀や事情があるはずだ。原作者、脚本家、プロデューサー等、それぞれの正義をしっかり伝え、聴き合えていたならば…原作者が今も「背筋を伸ばして」いられる道を探れたのではなかろうか。エンターテイメントの裏側で、誰かが泣くのはもう嫌だ。再発防止を願う。(吉原)

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