職場におけるトラブルは複合的。社内の様々な関係者の協力を得て、複数の視点で捉えなければ、解決が難しい問題も多々あります。でもやっぱり最後は「人」!HRリスクマネジメントが重要です。
職場のトラブルを減らしたい!もっと働きやすい会社にしたい!と、エス・ピー・ネットワークに生息する動物たちは、今日もチャットで議論します。
みみずくさん:
SPNの森のお目付け役。愛らしいフォルムと裏腹に、猛禽類らしい鋭い目線で最新のリスクをチェック!さらに森の仲間たちの文章もチェック!夜行性?うーん、夜中に起き出して活動を始めるから、夜行性なのか早起きなのか…?
黒豹さん:
黒いのは、ゴルフや釣りなどアウトドアライフのせい? SPNの大阪の森や福岡の森を棲み処としていたこともあり生息域は広い。約20年前に内部通報窓口の受託運営サービス「リスクホットライン」を立ち上げたのは実は…。
モモンガさん:
小さな皮膜で滑空する夜行性。特定社会保険労務士、産業カウンセラー、ファイナンシャルプランナー。そこそこ長い会社員経験をおなかの袋から取り出しながらSPNと会員企業様の森を飛び回ります。
リスちゃん:
森の中を駆け回り、皆さんのお困りごとに対応します。気が付けばこの森に来て6年が経ちました…。最近は森を飛び出し駆け回ることもしばしば。変わらずご相談にお答えしていきますよ。
ペルシャ猫さん:
ゆったりと過ごすことが好きな猫。ゆったりと過ごしたいが、過ごせなかった過去を持つ。社会保険労務士のほか財務会計の資格もあり、人事労務と財務会計分野の実務経験が長い。SPNの森では日増しに内部通報制度との縁が深くなっています。
ネコさん:
当相談室の留守番ネコ。猫なで声と鋭い爪をあわせ持ち、企業内での人事実務経験が豊富。保有資格は、社会保険労務士、産業カウンセラー、キャリアコンサルタント等。「推し」の話をしただけでせせら笑うのも差別だと思うニャー!
今月は、コンプライアンス部のAさんからのご相談です。
昨今、人権や差別に関する意識も高まっているからだと思うのですが、社内の差別に関する意識改革を強く求めてくる方がいて、どう対応すべきかで悩んでいます。
「○○人はマナーが悪い」だとか、性的少数派を茶化すような言葉とか、たしかに社内でも気になる言動はちらほら見られます。
でも、揚げ足を取るかのように、そういった言動をいちいち拾い上げて内部通報してくる方がいて…。
不適切な言動に注意指導は必要ですし、差別は絶対に良くないことはわかっているんですよ。ただ、通報を受けて、事実確認をして、本人が「以後気を付けます」と言って…というループを延々繰り返すばかりで、キリがないんです。
他にもいっぱいやるべきことはあるのに、「差別警察」みたいな人に振り回されているような気がします。
全社員向けの研修とかで、意識改革ができればよいのだろうとは思いますが…無意識的なものにアプローチできる研修って、なかなかハードルが高いですよね。
どうしたらよいか、アドバイスをください!
ニャー、これはまた難問だニャン。
ちょっとSPNの森のみんなで考えてみるニャ!
〈多様性にもブームがある?〉
そういえば、エンタメの世界では、ここ数年でLGBTQ+を扱う作品がものすごく増えた印象があります。というより、LGBTQ+を扱う作品は昔からあったものの、国際映画祭などで作品賞を取れたりするようになって、社会的に認知度が上がったり、支持をされるようになったからか、その逆(賞が後からついてきた)かもしれません。生々しい言い方をすると、数字が取れたり金儲けにつながるようになったということでしょうね…。 そんな中で、1970年代に漫画雑誌で連載された手塚治虫の『MW(ムウ)』は宗教もLGBTQ+も扱っていたことを思い出しまして…。 男性の主人公がバイセクシュアルで、その恋人というかなんというか…な相手が神父なんですけど、2000年代に映画化されたときにLGBTQ+のところがカットされていたんですよね…。そうすると、漫画の中で一番重要な二人の関係性が全然違うものになりますし、自ずとキリスト教の神父が葛藤する理由も大きく変わって宗教の描き方も変わってしまうので、「漫画の中でもの凄く大事な要素なのに、映画ではダメなんだ…」と驚いた記憶があります。 おそらく、今、映画化しようとするとLGBTQ+のところは残せたかもしれませんね。 何が言いたいのかというと、本当ならあらゆる差別は許されないはずですが、世の中には、多様性の中でもブームみたいなものがあったり、多様性の中で受け入れたいものだけを選んで受け入れている傾向(触らぬ神に祟りなし的な多様性や、目を背けられるものなら背けたい多様性も存在する現実)があって、まず、そういう暗黒面に目を向けないと意識改革なんてできない気がしています。 |
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うわあああ… | |
いきなりぶっこんじゃいました?(笑) | |
いきなりすごいの来たなー、と(笑) | |
ディスカッションが始まるまでちょっと時間があったので、まだ始まらないかなーと打っていたらこんな長文に…。すみません。 | |
想いがあふれているね。 | |
偏見は社会環境が作る部分が大きいからね。偏見の解消もしかり。売れるというか、刺さると思わなかったものでも、社会環境の変化で、今なら受け容れられる(売れる、刺さる)となるのはあり得る話だよね。 | |
いろいろな目線があっていいわけで、「どちらか」を正統派にするぞ!という圧が生じてくると、それもまた価値観の押し付けだなぁというか…。 | |
相談者さんの言う「揚げ足を取るかのように」というのも、価値観の押し付けだと感じ始めている前兆な気がします。 | |
アメリカの一部の州で「多様性を受け入れられないのも多様性なんだから、それも受け入れろ」みたいな主張をする人たちがいて、「ひどい屁理屈」と思いました(苦笑) 民主党と共和党の争いが背景にあると思いますが、大学入試のアファーマティブアクションが連邦裁判所から違憲だって言われているので、「国民が踊らされているのかなぁ…」と。 |
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受け入れられないのも多様性としているのに、それを受け入れさせようとする…。そうなってくると、いよいよよくわからなくなりますね。 | |
「へー、そーなんだー」で終わらない世界…。 |
〈差別はダメ!それはわかるけれど…〉
ちょうど昨日、ある会社の役員の方とお話をしていて、LGBTQ+の話になったのですが、「差別は絶対にダメだけど、会社としては、従業員やお客様全体のことを考えると、『もっと優先させるべきことが他に沢山あるよ』と思ってしまうんだよね。こういう考えは今の時代ダメなんですかね?」というご質問をいただきました。 私からは、「マイノリティの方々を傷つけることがないような社風が形成されているか…ということが大事なポイントなんだと思います」と応えましたが、皆さんならどう応えます? |
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差別の問題だけ優先させる、あるいは後回しにするというのは違うかな。結局、相手に対する配慮やリスペクトの問題なので、その一部として捉えればよいのではないかと。 | |
そうなんですよね。お互いリスペクトし合うことが大切、今の管理職には、個別配慮型のリーダシップが求められていますよ…という話もしました。 | |
今の社会情勢を考えると、宗教も結構センシティブですよね。ただ、信仰は人の尊厳の根幹に関わるような話なので、「そういうところを尊重しましょうよ」ということかもしれないですね。 | |
多様性の尊重って、違いの部分にだけ着目してもうまくいかないかもしれないね。「ダイバーシティ」だけでは不十分で「インクルージョン」が重要ってこと。 | |
別に他人が何を好きで、何を信じていようと、自分に影響がないならいいじゃないか、…とはならないものなのかな。 | |
いいと思います。でも、お互いの尊厳を傷つけるレベルは許されないという感じかな。 | |
それはそうですね。「他人に危害を加えることが大好き!」という人を尊重して、その「行動」までOKとしてしまうわけにはいきませんから。せいぜい特撮や特殊メイクなどを駆使した映像作品とかで満足していただかないと。そういう「作品」が好きな人はいるでしょうし、それを否定するつもりはないし。「あなたはスプラッタ―映画が好きなのね。私は動物映画が好き。」でいいじゃん。 | |
今年の新人さんに、テーマを自分で設定してコラムを書いてもらった時に、ハラスメントを取り上げ、「窮屈な世の中になったと思う方も少なくないと思うが、より良い社会への通過点だと考えてみて欲しい。配慮することが増え面倒だと思う前に、自分の何気ない言動で傷ついてきた人がいたとは考えられないだろうか。」ということと、「同僚に対し必要以上に配慮することを求めているのではなく、相手を尊重し合う関係性を築くことに重きを置いてみて欲しい」と書いてくれていて、これが真実だよなーと感嘆しました。 | |
本当ですね!! | |
これは確かにその通りだと思った。 | |
キリンちゃんね!キリンちゃん、自分の頭でいろいろ考えているから、すごいコメントが出てくる!このディスカッションにも呼びたいニャー。 | |
あ、ちょっと急な相談が…。興味あるテーマだったのに残念ですが、離席します…。 |
〈「白川さん」みたいになりたい…!〉
獅子さんのコミック、「メンタル強め美女白川さん」って知ってる? | |
名前だけは…。なんかの広告で見たような…。 | |
白川さんを見習うべきだな、って思ってるのよ。 | |
白川さんはどんな生き様を? | |
白川さんは見習うべきだなーと私も思います。「人は人、自分は自分」、「自分の良いと思うカワイイを大事にする」、「人も否定しない」、「私も大事。あなたも大事」 白川さんは、アサーティブな考え方ですね。 |
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無料の試し読みで読んだんだけど、「私は私、可愛く強く」で、陰口も華麗にスルーして、ポジティブに変換していく感じがね、憧れます。 | |
知らなかった。テレ東の深夜ドラマ的な薫りがする。 | |
私もテレ東の匂いを感じました(笑) | |
ドラマ化もされていたような…? | |
まさにテレビ東京ですね。 | |
やっぱり!(笑)今、テレ東でやってる「きのう何食べた?シーズン2」も面白いですよ。西島秀俊と内野聖陽が演じるゲイカップルの日常ドラマ。 | |
私も好きです。丁寧に食事を作って、楽しそうに食べる。平和な日常を送りつつ、シロさんが、ゲイであることがバレるのをおそれているのも、現実だなーと思います。弁護士(シロさん)と美容師(ケンジ)という職業で、カムアウトできる、できないという差をつけているのかな?と思うと、一つの示唆のようにも感じます。 | |
ケンジはお客さんにもカムアウトしてますけど、ゲイ友達が増えてもシロさんは未だにカムアウトできてないですから、その辺りが生々しいですよね。 |
〈どうしてみんな、好きにできないんだろう?〉
みんな好きにすればいーじゃん。ねぇ? | |
私も「好きに生きたらいいよ」派なんで、すごく分かります。「仕事は仕事」と割り切って無理のない範囲で必要最小限の仕事をして積極的に成長やチャレンジをしないことを、最近では「静かな退職」と呼ぶそうですけど、コツコツやるべきことをこなしている人を退職扱いにするなんて、企業のエゴが酷いというか…。どこに生きがいを見出すかとかは個人の自由であって、企業が口出すことじゃないんですよね。 | |
どうして好きにさせてくれない人がいるのかな。仕事上の付き合いで、問題が生じることもあるのかな。職種にもよるということかな。 | |
組織の中で、人が複数いるからね。どうしても「関係性」の中で業務を行うことになるし。 | |
関係性…? | |
自分ひとりで終始一貫、すべて完結する仕事であればよいのだけれど、誰かと「協働」することになるから、「好き」にはある程度、制限がかかっちゃうんじゃないかと。複数の人間が社会の公器(企業)という「器」の中にいるのだから、疑似的な「社会性」からは逃れられないと思う。 | |
「職業」という軸は、多様性を考える上で本人の思いを難しくさせるなと思います。性的指向や宗教というセンシティブな問題だけでなく、ちょっとした服の好みなども含めて、日常的に考えの違いの壁が出てきますよね。それに、会社員である以上は、会社という看板を背負うので、顧客や株主からの目線を考えると、会社も簡単に「好きにしていいよ」とは言い難い状況は理解できますし…。結局は世の中全体が変わらないと、会社も中々対応が難しいのが現実かと思います。「卵が先か、鶏が先か」な話ですが…時間が掛かり過ぎますね。 | |
うーん。「かくあらねばならぬ!」みたいな、圧の強い教育を受けて来たから、とかもあるのかなぁ? | |
教育は大きい気がします。ダイバーシティなどでは、女性が注目を浴びがちですが、男性の「こうあるべき」もかなり本人を窮屈にしていますよね。そして、そのことに無自覚な方が多いと思います。 | |
同調圧力のような、皆一緒でなければならない的な教育もありますよね。 | |
イヤー、超苦手…! | |
そういう意味では「日本は不自由な国」と思われているようですよ。政府から言論統制されている国の人から見ても「日本は不自由」と思われたりするそうです。日本には「言論の自由」や「表現の自由」などの耳障りの良い自由はあっても、「他人を気にせず、自分の好きなように生きる自由」はないという意味かもしれません。 | |
それも偏見を生む社会環境のひとつ。「自由」の意味がよく考えたら歪なんだけど、組織や社会の中にいれば、それを自然に受け容れて、自分を規律してしまうところが。よく考えると恐ろしい。 | |
ある意味言論統制より強い力(暗黙の了解的な雰囲気)が働いているんですかね。それに慣れてしまっているということですね…。 | |
皆が心地よい距離感で「好き」にできるとベストですけどね。 |
〈企業における「落としどころ」とそこへ向かう「道筋」〉
うーん。企業における「落としどころ」と、そこにたどり着くための「道筋」を考える必要があるんだよね。「落としどころ」は、「みんな違ってみんないい」「(他人に迷惑をかけない範囲で)好きにすればいーじゃん」だと思うのだけれど。 心地よい距離感を保てなくなるような、「それはダメ!」「やり過ぎ!」の方がまだはっきりしていないのかな。 |
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こういう話って、私は禁句や不可侵領域ばかり増えていくのもなんだか違う気がしていて、「じゃあ、どうしたらいいんだ…」と思ってしまうんですよね。皆さんはどう思われます? | |
逆だよね。思いやりとか配慮とかリスペクトといったシンプルなプリンシプルがあればいいのだと思います。もちろん、「ルール」のレベル感がちと難しい(苦笑) | |
うん。どうしたらいいんだ! | |
配慮が必要なことが多すぎて、いっそ何も触れない方が安全…となる気持ちもわかります。でもそうすると結局腫れ物扱いみたいになって、本末転倒になってしまうんですよね。 | |
腫れ物扱いって結局目を背けているのと同じで、極端な終着点はいじめを見て見ぬふりをすることですからね…。 | |
腫れ物扱いで放置すると、どんどん悪い方に…。 じゃあ、適切な「好きにすればいい」の範囲を考えればいいのかな? |
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ありきたりかもしれないですけど、一回、明け透けに社内で議論してみてもいいかもしれないですよね。その場では「そういう言い方をされると傷つきます」と率直に言い合えることが前提ですけど。 | |
「それ、○○ハラですよ~」と、冗談っぽく言える職場って、たぶん良い職場。心理的安全性バッチリ。 | |
そうなんですよね。で、言われた側も「ごめん」とすぐ謝れることも大事かと。 | |
そうそう、軽ーく「ごめん、ごめん」で済んで、「もうしないよ」となってくれたらとっても平和。 | |
そうですね。嫌なことを嫌と言えることが大事で、言われたら「ごめんね」と言って、その関係性の中で解決できることが一番ですね。嫌なことは人それぞれ違いますから。 障害なども人それぞれ違うように、どんな配慮やサポートが必要なのかを率直に話せる環境づくりが大事だと思いました。 |
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あくまで私の個人的な感覚なんですが、私が子供の頃は「中国と韓国から日本は嫌われているけども、日本はそれほど中国と韓国を嫌っていない」感じだったんですよね。「過去に嫌われても仕方がないこと(侵略行為)を日本がしてきたから」とか「日本は相手から何を言われても冷静に」みたいな風潮があった気がします。もちろん、単に私が子供で、日本の暗黒面に気付いていないだけだった可能性も大いにありますが…。 でも、おそらく韓国の朴政権の後期と文政権での従軍慰安婦像問題や日本企業の賠償問題から、日本で「日本も韓国が嫌い(嫌いになっても仕方がない)」みたいな空気が表に出てきてしまった気がしていて、「売られた喧嘩は買ってやる」みたいな風潮になってしまった気がしました…。それで、その時の日本の政権は…と考えると第二次安倍政権なんですよね。日本も毅然と抗議をするようになったと捉えることもできますが…。 何が言いたいのかというと、それぞれの政府の方針やプロパガンダに国民が踊らされているだけで、自分たちの意識にはそういうフィルターがかかっているということに気付いて、まずはフィルターを取っ払う努力から始めることが大事な気がします。もっと言うと、そういう努力を相手にしてほしいなら、まずは自分からだと思います。もちろん、その努力が必要なのは私もです。 |
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「差別」を単純に考えれば、人を「属性」で見ないで、「個」で見たらいいのかな、と。「個」が悪人だったら嫌われても仕方ない、でも、その個の属性全部が悪人と考えれば、それは差別。 | |
「これだから○○人は」でくくってしまうからおかしなことになるんですよね。「○○人って何万人、何億人いると思ってるの?」みたいな。属性でみれば誰しも何らかの属性でマジョリティになって、他の属性でマイノリティになるわけで、マイノリティの気持ちが分からない人はいないと思うんですけどね。 |
〈企業としてすべきこと、研修で伝えたいこと〉
いろいろなことを改善しようにも、僕たちはあまりにも無知で、無自覚すぎる感じがするな。でも、無知・無自覚をなくすために、企業ができることはあるはずだよね。 | |
本来、企業はパブリックな存在なので、社会的な役割を果たす責任があるはずですよね。例えば、障害者の生きづらさは個人の特性が原因ではなく、社会が健常者に合わせて作られていることが原因であるように、差別の問題は、個人の問題ではなく社会の問題ですし。都合の良い多様性だけを選んで受け入れるのではなく、長期的な視点で、より深い「豊かさ」を追求していくことで、この「豊かさ」こそが企業価値になると思います。 | |
差別や偏見の問題は、一義的には社会や個人の問題だとしても、企業が社会の一部であり、社会に対する影響力を行使できることを考えれば、企業が個人に対して働きかけることで、社会環境を良くする方向に動くことはあきらめちゃいけないと思う。例えば、国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」が注目を浴びているけど、企業がどうふるまうべきかを通して、従業員と社会の両方に働きかけているよね。 | |
私たちなら、どんな研修ができるかな。企業向けに。 | |
もちろん、企業や組織の中にもさまざまな立場や考え方があるから、プリンシプルをしっかり共有することなのかな。 | |
まずは無意識の偏見の存在に気付くことから始めることですかね。 | |
ハラスメントなどもそうですが、無意識なので「え、こんなことで?」と思う方もいらっしゃるんですよね。まずは、「こんなこと」で傷つけてしまっている可能性があることに気付くのが第一歩だと思います。 | |
配慮とか思いやり、リスペクトね。障がい者への配慮を考えるとき、当事者の話を聞くとか、体験してみるのは、気付きがあって、無知・無自覚ではいられなくなると思う。 | |
ロープレで、その立場を経験してみる、というのも一つかと思います。 教育としては、誰にでもアンコンシャスバイアスはあるし、それが悪い訳ではなく、そういう自分に気付いて気を付けることや、嫌なことは嫌と相手に伝えられること、伝えられた相手は素直に受け入れて、「この人はこれが嫌なんだな」と認識したら、それを繰り返さないこと。周りは、双方を尊重してフォローやサポートをすること、こういう基本的なことを事例で示して伝えていくことは大事なのかな、と思います。 「それはダメだ」と思ったら、内部通報するのではなく、本人に「配慮してほしいです」とか、「そうではなくて、こう考えてほしい」と直接言えるようになることが理想かなと思います。 |
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環境づくりと、言う側・言われる側へのアプローチが必要ですよね。「今の発言はちょっと…」とか言える環境になっているのかどうか、言う側も言い方や相手に気を付けるとか、言われる側もまずは真摯に受け止めて、謝罪をするとか。 | |
心理的安全性、ここでも大事だなぁ。 | |
謝罪も形だけじゃなくてね。 | |
形だけの謝罪ほど、腹立つものないですよ。 | |
「今のはちょっと…」って直接言える環境は理想ですよね。周囲も言える環境も大事。 | |
こういうのって、もう最初は失敗の連続だと思うんですよ。トライアンドエラーを繰り返すことは避けられなくて、まずは自社がそういう段階であるということを全社員に共有して、失敗を許す風土を作ることが大事な気がします。 つくづく思うんですけど、誰かに対してイライラしたりするときって、99%自分が悪いんですよね。結局、自分の物差しが小さすぎて、狭い価値観で相手をはかって、その価値観を相手に押し付けているだけだったり、相手とのコミュニケーションがちゃんとできていなかったり…。そもそも自分の器が小さいだけみたいな。そういうことに立ち返って考えてみるのも良いかもしれません。 |
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相手は自分の鏡という話もありますしね。 何かの記事で読んだのですが、ある役所の生活保護担当者たちの態度が酷いという問題があったそうです。そこで、担当者が生活保護受給者の役になって、生活保護を申請し、意地悪な担当者にやり込められるというロープレをやったところ、担当者のその後の対応がかなり改善されたという実験結果があるそうです。自分がその立場になって、初めてわかることもありますよね。 |
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配慮のポイントがズレないように、というのも大事だよね。だからこそ、しっかりと「知る」ということが最初にくるかもね。「無知」でなくなれば、「無自覚」を避けられるはず。 | |
高校の時に、妊婦が如何に身体に負荷がかかっているかを体験するエプロン(?)みたいなのを男子も含めて全員が着るっていうのがありました。 | |
「仮」だとしても、そういうリアル体験が、何をすればよいか自ら考えるきっかけになりますね。 |
〈「ギャル式」が気になる…〉
今ちょっと、ギャル式のブレストが気になっています。 | |
心理的安全性はもちろん、敬語禁止、ため口で自由に発言していくってやつですね。 | |
人のアイディアを否定しないとかあだ名で呼ぶとかルールがあるやつですよね? | |
そうそう。ギャル式って、「相手を否定しない」、でも「言うべきことははっきり言う」みたいなのの練習には良いんじゃないかと。 | |
こんな記事がありました。なるほど。 「ギャル式ブレスト」が肩書の壁を壊し、新たなビジネスの芽を生む:日経ビジネス電子版 (nikkei.com) |
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いっそこれくらい強烈な体験をすると、今までの偏見とかは吹っ飛ぶかな?と。 | |
ゆうちゃみとみちょぱ曰く、「ギャルは礼儀に厳しい」そうです。そういう「人としての基礎」がしっかりしているのも、本当に言っちゃいけないことはわかっている上でのブレストになるのかもしれませんね。 | |
個人的には「きも~い」とかよく言いそうなイメージがありますけど…。これこそ偏見ですね(苦笑) | |
前に、本社ビルのエレベーターに乗っていたら、途中ですごいキラッキラなギャルの男女が集団で乗ってきたんですよ。エレベーターの中の雰囲気が一気に変わって、ネコは圧倒されていたのですが、ギャル集団は、エレベーターを降りるとき、ドアの「開」ボタンを押してくれている人に向かって、全員が口々に「ありがとうございましたー」って挨拶して行ったんです。それを見て、「ギャル、素敵!」って思いました。 | |
記事にある、マイナスを疑ってみる、プラスを見てみる、って深いですね。直感で量を出すってところもすごい。環境で押し込められてきた「想像力」を開放するイメージですかね。「みんなの心の中にギャルはいる」とか、なかなか面白い。気付きがありますね。 | |
ギャル式、体験してみたいなぁ。でも私にはこの講師はできないなぁ…。 研修の構成として、前半はアンコンシャスバイアスの話で「これはダメ」を伝えて、後半で「こうすればいいよ」を伝えるなら、ギャル式ブレストだと思うんですよ。研修の構成としての理想形。 |
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この記事のCGOさんみたいなところから、「アゲー!」とか言ってくれる人を呼んできたら良いかもしれませんね(笑) | |
いつもの社内のメンバーで、「心をギャルにして、さあ、やりなさい」と言われても無理ですね。外部の介入が必要かと。 | |
うん。できればこんな研修を提供したい。でも、「ギャルおばさん」はさすがに痛いでしょ?って、「おばさんだからギャルになってはいけない」も偏見…?…いや、これはやめとけ、私。 | |
「みんなの心の中にギャルはいる」とのことなので、それを開放してあげる方法もいろいろ考えてみたいですね。 | |
「オヤジ心」とか「ギャル心」をみんなで想像してみるのはおもしろいかもしれないな。「ギャルなら、何て言うと思いますか?」とか。「オヤジならどう思うでしょう」とか。逆に「偏見」をバリバリに活用して、多様性を考えてみるとか。 | |
心理的安全性を保つという点でなら、カルビー常務だった武田雅子さんは、カルビーにいた当時の会議で、以下のような心理的安全宣言をしていたそうです。 「この場所は安全です。どんな意見やアイディアを言ってもいい場です。失敗やトラブルの報告があれば、それを叱る場ではなく、どうするか前向きな検討をする場です。この場の安全性は私が担保します」 |
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まずは安全宣言ですね。で、それが形だけにならないように、実行することも大事ですね。 | |
あえて全てに反対意見を言う「悪魔の代弁者」という役割を、会議で順番に誰かにやってもらうといい、という話も聞いたことがあります。 | |
仮装するとか、別人になりきるとか、そういう外面から入ったら、心理的ハードルを解放できるかもしれませんね。 | |
このメンバーで試しにやってみます?そうするとクラアントへ提供するものもできますよ(笑) | |
真面目な話、ビジネスにつながるヒントが得られそうな気がするな。できる範囲でまずはやってみてもいいかもね。 |
「HRリスク」とは、職場における、「人」に関連するリスク全般のこと。組織の健全な運営や成長を阻害する全ての要因をさします。
職場のトラブル解決とHRリスクの低減に向けて、エス・ピー・ネットワークの動物たちは今日も行く!
※このコーナーで扱って欲しい「お悩み」を、随時募集しております。